評価…かぁ〜…

今の日本の状況は一旦置いといて、

つらつらと書いてみるね。

 

そのうちぼくによる授業が始まって、定期テストなんかも始まっていくわけだけど、当たり前のように、「生徒たちの『評価』もよろしくね」なんて言われるだろうなぁ。

 

テストの点数、

日々の授業の態度、

提出物…

それらをもとに評価をしてねって。

 

評価なんて、教師だけど、

ぼくなんかがしたくない。

 

結局は自分のことだし、

自分ができたかどうかは自分が1番知ってる。つまり生徒自身がね。

 

ぼくなんかがまともな評価は、できんぞ!

て思う。

もちろんぼくだけじゃなく、

評価者(教師)のアナタも。

 

教師よりもいちばん接してる時間が多い周りの生徒の方が、高精度の評価できると思うんだよね。

 

教師が評価って何様だよ、て思っちゃう。

 

たかが1人の視点から行われる評価が、生徒の人生に対して影響を与えないわけです。

ま、もちろんネガティブな評価によって、生徒にとってある分野がオワコンになる危機はあるわけですが。

 

そういう意味では、他者による評価(ここでは上に立つ者からの)にはあんまり良い印象はない。

 

教師だけで話し合うことの不思議さ

自分がまだ小学生,中学生あるいは高校生をやっていたころ,半年に一回程度は,ふと,思っていたことがある。

それは,

「先生たち,職員会議では一体何を話してるんだろうな」

だった。

 

あの頃の疑問を,真相を,確かめるべく,

今,現場に潜入というか,立つことができましたが。

 

まず,職員会議と言っても,いろいろ種類があるんだなぁって。

 

職員全体で行うものもあれば,

所属している委員会別の会議,

生徒指導部とかの校務分掌別の会議,

中高一貫校だと,「高等部」「中等部」などの学部別会議。

 

正直,会議内容は,まだあんまりわからない。

登場人物にピンと来ないし,

昨年のことを話されてもわからない。

それにその企画の意図が把握できていないとなおさら。

 

だから,

「あぁーうんうん,あ..うん..うん..あーーー」

というように,理解と不明が交互に起こる。

モールス信号的な波長が脳内で起きてるのだ。

 

ただ,どの種類の会議にも言えることとして,

「なんでこの職員会議に子どもがいないんだろう?」

という感情は,参加するたびに湧き起こる。

 

なんというか,

児童生徒のことを思っての発案や,企画なのかもしれないけれど,もしかしたら彼らは,そういうのを必要としてないんじゃないかって,思うんです。

 

思春期の子が親に反抗する心理と一緒なのかなって。

「そんなのいらねぇよ!」

「ありがた迷惑なんだよ!」

ってなるあれと一緒なのかなと。

 

だから,ぼくとしては,

まずその会議に子どもたちを参加させたい。

 

そして,

「学習指導要領ではこういう行事が組み込まれる必要があって,これこれこういう条件なんだけどさ,何かやってみたいのある?」

とか,

「去年こういうイベントあったけど,正直どうだった?もしいらなそうなのあれば教えて。またはこれがやってみたいとかあれば!」

 

そういう校内全体に開かれた職員会議が理想だなぁ。

 

勝手な仮説だけど,

その方が働き方改革につながるんじゃないかって。

 

今まで「やらなきゃ!」て思ってたものが,見事に当事者によって「いらない」と仕分けられると思うんです。それもめちゃくちゃな量のあれこれを。

当事者である子どもたちなら,スパッと切り分けて,余分なものはごみ箱に捨ててくれるはず。

 

教員側の「どうしてもこれだけは..」というものだけ,最初からそのまな板から外しておく。

 

 

ただ,ぼくの中でこれを薦める最大の理由は,

子どもたちにとって,職員会議自体が上意下達式なのがどうも腑に落ちない。

 

企画の原点に,対象の人間がいないのは,

ぼくの中ではちょっと違和感がある。

 

彼らの需要をしっかり確認できてるのならまだいいです。

 

ただ,以前のものを踏襲し,一方的に与えてる部分もあって,「なんかなぁ」と,教員の立場ながら思ったりする。

 

これに通ずるストーリーがあって,

大学院1年生のとき,生徒が授業検討会にモロに参加する場を設けたことがある。

授業検討会って,研究授業のあとに,子どもらは先に帰らせて,大人だけ大きな一室に残って,「ああでもない」「こうでもない」と議論する授業反省会じゃないですか。

 

そうじゃなくて,授業参観者である大人と授業主体者である子どもたちが,自由に話し合う場です。

あのときは,実験的だったから,子どもたちを3,4人1グループにして,4ローテーション×10分で行った。

 

大人vs子どもたち の話の内容は非常に興味深いものでした。

内容はまた今度,時間あるときにでも書こうかしら。

 

だから,通常の検討会における

「子ども視点からはー..」

とか

「あのときの教え方はー..」

とか,そんなん子どもしか知らないに決まってます。

 

なんで大人だけ集まって,

「顧客」の気持ちを議論し合ってるのかぼくには不明です。

 

そんなん書いてたら,もう15時だ。

おやつでも食べて,本でも読もうかな。