特別支援学校のこれからの未来
オープンキャンパス(学校見学)が,
先日,勤務校であった。
来年高1になる,現中3の生徒対象でした。
うちは,聴覚障害に限らず,軽度知的障害の生徒も受け入れる,格好良く言えばハイブリッド型の学校です。
その日は知的障害を持つ生徒のための学校見学。
きっと,中学の担任の勧め,親御さんの判断で,その学校見学に生徒は参加したのかもしれない。
もしくは強制的にさせられたのかもしれない。
ただ,見学に来た生徒を見て,
ぼくが終始思っていたことは,
「君たちは,周りから分け隔てられたこの『特別支援学校』というものに,入るに値しないよ。」でした。
何が言いたいかといえば,
「お偉い大人たちが勝手に作り上げた「基礎・基本」というフレームに合わなかっただけに過ぎない」てこと。
もっとストレートに言えば,
「特別支援ってなんやねん」と、
「大丈夫、君たちはうまくやれるよ」
でした。
そこそこ幸せに生きていく上で,
ようわからん「基礎・基本」て,必要?
それを目安に,
「この子は支援が必要だ」
「この子は優秀だ」ってカテゴライズしちゃってさ,本当にバカバカしいよ。
その「基礎・基本」が備わってれば,
人って幸せに生きていけるんだっけ?
それが無いだけで子どもたちを分けて,
多種多様な人間との関わり合いを,奪う。
学校て,本当にそれでいいの?
「特別支援」ってぶっちゃけると,「(でっちあげられた)フレームに合わなかった人たちをサポートする」ものだとぼくは捉えている。
「このフレームさえなければ,君たちはもっと..」とやるせない気持ちでめちゃくちゃ悔しかった。
ぼくのビジョンの中に,
「特別支援学校?あぁ,あれはとっくの昔に廃止されたよ。今は能力に応じて分けられることなくて,いろんな人がごちゃまぜになって、目的に応じて学び合うんだ。その方がお互いwin-winなんだ!」
と、子どもたちが目を輝かせながら話す世界、それを実現したい。
早い(極端な)話が、特別支援学校という施設をこの世から無くしたい。
なんて言うと、「ヤバいやつだ」とでもなるんですかね。
あれは母さんだったのね
ぼくは家事に関して,結構だらしない部分があるんですね。
ほら,この間なんて,自宅のゴミ箱にウジ虫湧かしてたし。
あと,なんだろうな。
大学1年生の頃,真夏にですよ,
使った食器を4日間,台所に放置したことがあって。
病んでたわけじゃなくて,ただ単に暑さにやられて皿洗いという作業がしたくなかった,それだけ。
みなさん,4日目に何が起こったと思います?
黒光りのムカデが排水溝からニョロニョロと出現したんですね,それも2匹。
(なんで2匹かと言うと,基本的に,夫婦で活動してるんですって,彼ら)
そんなトラウマ級の過ちたちを一度でも犯すと,
もうね,だいぶ神経質になる。
繰り返さないために,めちゃくちゃ注意を払う。
みなさんも,水回り,気を付けてね。
他にも,
トイレに関しても,気づけば黒ずみが出ていることが,まあ,多い。
換気扇のシートも,気づけば真っ茶色。
フローリングの隅には,気づけば髪の毛や埃が屯している。
靴の中の臭いも,皮と汗が2:8くらいで混ざった感じ。
一人暮らしを8年ほどしてるわけですが,
最近,改めて思ったのは,
全ての舞台裏に母さんがいたんだな,と。
なんで,トイレに黒ずみができるんだ?
おーい,換気扇シート,汚いぞー。
床に小さなごみ,目立つなぁ。
靴,ちょっと臭うけど,なんでだ..?
何もかも,この一言で片づけよう。
「あぁ,お母さんがすべて,ぼくの知らない間にメンテナンスしてたのね。」
実家にあるもの全てを基準にしていたから,
自分の部屋にあるものすべて,粗が目立つ。
なんでこんなに汚くなるんだ,と。
実家はこうじゃなかったよ!
実家はいつも綺麗だったのに,なんで自分の部屋だけはここまで汚くなりやすいんだ。
「それはね,君のお母さんがいつもやってたからだよ」
と冷静にもう一人の自分がなだめる。
この体験談,意味がわかると怖い話シリーズの『井戸』の話と,原理は一緒なのかもね。あくまで原理ね。
ある日、泣き声がしゃくに障ったので妹を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた
5年後、些細なけんかで友達を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた
10年後、酔った勢いで孕ませてしまった女を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた
15年後、嫌な上司を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた
20年後、介護が必要になった母が邪魔なので殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていなかった
次の日も、次の日も死体はそのままだった
それにしても,お母さん,
いつもありがとうでした。
今度直接言おうかな。