ボランティアと学び
オリンピックの開催で、いろいろと議論が交わされていますね。
マスコミによって流されているデマや誇張が広がり過ぎてて、
現段階では、まだ「いいね」とか「おかしい」と、確信を持って言えません。
できれば、JOCをはじめとする主催者と直接お話ができればいいのですが。
今回のオリンピック開催において、SNSをちょっと覗いてみると1番注目されているのは、学生ボランティアですね。
全国の大学と高等専門学校に対して、オリンピック開催期間中の授業や試験の日程を柔軟に変更するよう求める通知を出したりしなかったり。
学業<ボランティア
になってしまいますね。
しかもこれボランティアなので、無給(に近い)という記事をどこかで見ましたが、デマかもしれません(そう信じたい)ので、様子見です。
勝手に未来予想すると、
募集かけてますが、おそらくあまり集まらないでしょう。なので、強制的な圧力を大学や学校機関にかけると同時に、
ボランティア=単位
にして学生の前にルアーをぶらさげるでしょう。
それでも、
「真夏に無給で働く」
よりは
「涼しい環境でアルバイト」
をとると思いますが。
ボランティアは確かに、
良い経験ができるでしょう。
良い出会い、良い学びがあります。
でも、強制(受容的な学び)の先には何もないと思っています。何も得るものはないでしょう。
単位とかそういった小賢しいものをぶら下げずに、それでも集まってきた学生には、かけがえのない、大きなものが得られる。
目的や望みがあるのだから。
やっぱり何もかも能動的じゃないと。
そうは言っても、まぁ、結構ハードになることは予想されるので、時給は出した方が良いかと。受容的学び云々とかじゃなく。
最後にぼくの師匠がおっしゃってた言葉を添えて。
「自分のことを安く使おうとする人とは距離を置く」