英語のケーキフォーク理論

学部生の頃、英語について少し、当時所属していたゼミの教授と話したことがある。

なぜ、君は英語の教師を目指す?

なぜ、海外留学を望む?
(結局、留学という形にはならなかったが…)

質問責めのあと、海外留学するにもしっかり目的がないとなぁと思いました。

さてさて、長居し過ぎたなぁと思い、研究室を出ようとイスから立ち上がろうとしたとき、

「君にとって英語は何か?」

と問われました。

当時は、ただの外国語としてしか認識していなかったし、ペラペラ喋れればカッコイイなぁとしか思ってなかったし、かといって、この問いに答えるにはその理由は幼稚過ぎるなぁと何も答えられずいました。
そんなぼくを微笑ましそうに見ていた教授が語ってくれた「英語」、今でも覚えてます。


"英語は、ケーキとフォークのようなものだ"

??
ですよね。

続けて、
「ケーキが君の目の前にあるとしよう。
君は何で食べる?もちろんフォークで食べるよね。でも、フォークがなかったら、素手で食べるしかない。しかし、それはあまり美しい食べ方ではない。
フォークを手に取って、いろんなケーキを食べてみてはどうだろうか?」

なるほど、なんてロマンチックなんだと思いました。

手を汚して食べるケーキでも、最初は勢いでいくつも食べれるでしょう。
でも、個数を重ねるごとに、
「手を汚して食べるケーキ、なんか嫌だ」
と嫌気がさして、もうケーキを食べなくなる。自分が今まで食べてきたケーキの他に、もっと不思議な味のする、おいしいケーキがあるかもしれないのに。

英語もこれと似ているらしい。


英語が理解でき、話せるようになれば、
いろんな経験(ケーキ)を味わうことができる。

まぁ、英語ができなくたって、フォークを持っていないだけであり、素手で食べれるし。
そのフォークがなくても不幸になるというわけではない。

ただ、あった方がいいよね、
って話。

5年前のある日のシーンを不意に思い出してみた。