みんな変わってる

高1のとき、一服してる母から


「こうだいって変わってるよね」


と、実の母から突然言われて、
あ、ぼくは変わってる子なんだ
って自覚するようになりました。

学部生の頃、院生の今でもたまに「変わってる」と言われます。

自覚はしてますが、どこが変わってるのかはわからないままですが。

まぁ、一人一人じっくり見ていけば、
みんな変わってるとは思いますけど。
「自分」と「同じ」なわけないんですから、そりゃ変わって見えますよ。

その「変わってる」集合体のうちの一人が「ぼく」なだけですよっと。

でも、そんな集合体から群を抜いて「変わってる」人に、幼少期からなってみたかったっていうのが本音。

例えば、

5歳児への街頭インタビュー等で、
「今日のイベントはどうだった?」
と問われたとき、
だいたいのその年齢の人たちは、
「楽しかった」や「おいしかった」
の一言だと思う。
でも、そうじゃなくて、
5歳という年齢でも、
「そうですね、フィフティフィフティですかね。楽しくもないしつまらなくもない。もうちょっと改善できる部分もあったと思うし、これから期待していきたい」
と、辛辣なコメントをカメラフレームに残せる5歳児であったら、なかなかおもしろいシュールな場面だなぁと少し過去を悔やんでみる。