トラウマ経験から考えてみる
ぼくは昔、散髪がイヤでイヤで仕方なかった。
せっかく伸ばしたのに、
なんで切らなきゃいけないんだ!
周りはうまいうまいと父の散髪テクニックをもてはやすけど、違う!
短かくし過ぎなんよ!
そういう感じだった。
あれは確か5歳の、蝉が鳴り止まない夏だったかな。自転車で近くを走り回ったあとに家に帰ると、今でも鮮明に覚えてるすんごいワンシーンに直面した。
お母さんのロングヘアーがボブヘアーという短さになっていた。
お父さんも床屋へ行ったのだろう。かなりカットされていた。
戦慄した。
2人して楽しそうに会話していた。
ぼくを見つけるなり笑顔でいつも通り話しかけてきたが、
ぼくは
「俺も刈(や)られる…」
と恐怖で、正気を保てなかった記憶がある。
あっちはその気は無かったのだろうけど、
ぼくもこの人たちのように、
短くされてしまうんだ、と怯えていた。
ぼくが大学院で学んでいる『学び合い』は、
すごく変わっている。
おそらく、『』が当時の両親
そして周りの人たちが当時の僕
に置き換えることができると思う。
無理に『』を広めるのは、
「恐怖」を経験したことのあるぼくが判断するに、
あまり良くないみたいだ。
なんか、
「『』の世界はいいぞ〜(洗脳)」
と迫ってるようで、逆効果だ。
慎重に、でも着実に、
なんとか日本の教育を変えていきたい。