ポーズなんていらない
「はーいいきますねー🙋♂️はいチーズ!」
ぼくは写真撮られるとき、何もポーズをとらないようにしている。
二本指チーズもそうだし、親指と人差し指を擦り合わせてハート型にするあれもそうだし。
指令が出たらそりゃやりますけど。
空気は読みます。
でもフリースタイルだと、まずやらない。
「このポーズ流行ったよねー!今考えるとダサっ!」
って、何年後かに、写真に写るぼくを指さしてケラケラ笑うミライの誰かを想像すると、変な胸騒ぎがする。それがその理由なのかもしれない。
あ、じゃあ、あれだ。
授業も例のポーズの事例と一緒なのかも。
「フラッシュカード?とか言って、先生が一生懸命単語発音させるあれマジツボだよね。別にあれいらないっつーの、みたいな(笑)」
とか
「タブレットをみんなに渡して、先生がやたら仕切る授業やったーやったー!でも結局、私らの方が先生より先に進んじゃうっていうオチはマジウケる」
とか。
もしかしたら100年後には
「AIと先生が英語でディスカッションする光景をアイスブレイクと称して10分間見なきゃいけないあれ、なんだったんだろうね(笑)すごいのはすごいんだろうけど…」
なんて話も、この先あるかも。
懐かしい思い出話にはなるだろうけど、
なかなか恥ずかしい。
そして、やる意味が結局あったのか?
という疑問までも生まれてくる。
実は先生が下手に味付けをしない、
つまりは何もしない方が、
効率的にも将来的にも、良い。
写真を撮るときのポーズと同じように、
なんて思ってみる。