コンタクトと『学び合い』

ぼくは目が悪い。中2からコンタクトを装着して1日の大半を過ごしてきている。

視力は0が2つ、つくほどだ。

 

コンタクトをつければなんでも見える。

遠くの看板、遠くに立ってる人、黒板の文字、何かに悲しんでいる相手の表情、涙…場合によっては人の毛穴まで。見たくない・見えなくてもいいものまで見えてしまうのが欠点だ。

 

けど、裸眼だとほとんど何も見えない。から、動き出せば間違いなく怪我すると思う。最悪死んでしまうと思う。人の顔も認識できないから、「あいつ態度悪いやつ」扱いされるだろうな。

 

ぼくも歩けば棒に当たる

なんてね。

 

でも、見える景色はすんごい美しい。特に光があれば。

拾い画であるが、本当にこんな感じ。

f:id:kohdai-0321:20181209123318j:image

参考までに引用サイト載せておきますね。

【衝撃】視力0.01の世界!目のために知っておきたいことhttps://matome.naver.jp/m/odai/2142960694906344601

幻想的なんです。ずっとこのままでもいいかなぁって思う時さえある。

 

似てる。

 

やっぱり似てる、というか一緒だ。

 

『学び合い』と。

 

 

『学び合い』=コンタクト

それ以外の授業=裸眼

だとぼくは思うんですね。

 

『学び合い』をすれば、生徒のを見ることができるのはみなさんご存知かと思われます。

人と関わり合いながら目標達成を目指すわけですから、必ず人間関係があまりよろしくない人達はいます。

教室の中で誰がハブられてるとか、誰が誰を嫌いかなんて教師から見れば一目瞭然。

 

もちろんいじめ問題もね。

 

となると、

『学び合い』以外の授業は、

裸眼の状態なわけです。

 

そこにある事実が見えない。だから、何もかも美しく見えるし、上手くいってるように見える。いじめがあっても、気づかない。例え目の前で起こっても。

だって、見えない、あるいは見えないようにしてるんですから。

 

子どもの人間関係、

幻想的に見るか、直視するか。

 

それだけ。