コンタクトと『学び合い』
ぼくは目が悪い。中2からコンタクトを装着して1日の大半を過ごしてきている。
視力は0が2つ、つくほどだ。
コンタクトをつければなんでも見える。
遠くの看板、遠くに立ってる人、黒板の文字、何かに悲しんでいる相手の表情、涙…場合によっては人の毛穴まで。見たくない・見えなくてもいいものまで見えてしまうのが欠点だ。
けど、裸眼だとほとんど何も見えない。から、動き出せば間違いなく怪我すると思う。最悪死んでしまうと思う。人の顔も認識できないから、「あいつ態度悪いやつ」扱いされるだろうな。
ぼくも歩けば棒に当たる
なんてね。
でも、見える景色はすんごい美しい。特に光があれば。
拾い画であるが、本当にこんな感じ。
参考までに引用サイト載せておきますね。
【衝撃】視力0.01の世界!目のために知っておきたいことhttps://matome.naver.jp/m/odai/2142960694906344601
幻想的なんです。ずっとこのままでもいいかなぁって思う時さえある。
似てる。
やっぱり似てる、というか一緒だ。
『学び合い』と。
『学び合い』=コンタクト
それ以外の授業=裸眼
だとぼくは思うんですね。
『学び合い』をすれば、生徒の闇を見ることができるのはみなさんご存知かと思われます。
人と関わり合いながら目標達成を目指すわけですから、必ず人間関係があまりよろしくない人達はいます。
教室の中で誰がハブられてるとか、誰が誰を嫌いかなんて教師から見れば一目瞭然。
もちろんいじめ問題もね。
となると、
『学び合い』以外の授業は、
裸眼の状態なわけです。
そこにある事実が見えない。だから、何もかも美しく見えるし、上手くいってるように見える。いじめがあっても、気づかない。例え目の前で起こっても。
だって、見えない、あるいは見えないようにしてるんですから。
子どもの人間関係、
幻想的に見るか、直視するか。
それだけ。