偽りの塊

 

昔、指導教官がおっしゃっていた。

 

研究分析において、

 

アンケート集計してなんの意味あるの?

 

って。

 

そのときは、

そうかなぁ、あってもいいと思うけどなぁ

なんて思っていたけれど、

今なら、うんうんと頷ける。

 

例えば、

「あなたは、誰かに不愉快なことをされたら不愉快だと言うことができる」

1、あてはまる

2、わからない

3、あてはまらない

 

という質問及び選択回答があったとして、たぶんこれはその時のその人の意味の捉え方で全く変わってくると思う。

 

1、あてはまる を選んだ場合、

「確かに、俺は言うぞ。“お前それアカンでその発言”って。もしその場に居合わせていたなら。」

 

2、わからない を選んだ場合

「いやーどうだろうなぁ。場合によるなぁ。でもここには詳しくその状況説明書かれてないし、それ知らないで断言するのもあれだから、ここはとりあえず わからない を選んでおこう」

 

3、 あてはまらない を選んだ場合

質問をそのままストレートに捉えて、

「不愉快なことされたのに、相手に“不愉快”の一言だけ言って批判しなくない?自分の言葉で何かしら拒否反応するじゃん!なんだこの質問!ここはもちろん あてはまらない だよね」

 

という3種類の捉え方があると思う。

 

「解読能力はみんな一緒だ」

という前提条件で実施されているアンケート調査。

回答者は、本当はAという答えを出すはずなのだけれど、捉え方を間違えたために、Bと答える、なんてことがあるわけで。

 

それが積み重なると、そのアンケートっていうのは、ただの偽りのデータを集計した、

なんにも参考にならない塊に過ぎないわけで。。

 

これで、学会等で

「私はこのアンケート結果をもとにこんなことを見つけましたよ」

「見たか!このアンケート結果を!」

とドヤ顔されたところで、

苦笑いせざるを得ないのである。

 

口頭インタビューにしろ、

紙面アンケートにしろ、

人の本音を本気で探ろうとしたところで、

無駄ってことなのかもしれない。

 

にも関わらず

アンケートをとることをよしとする研究(発表会)。

そしてそれが常識っぽくなってる現状。

 

 

気に入らないねぇ!

(ショムニ江角マキコ風)