見つけたぞ、その必要性
中学校のとき苦手だった英語。
当時の英語の先生からの喝、そしてそれでなんか知らないが湧き起こった勉強意欲。
1カ月後の定期テストで取ってしまった100点。
自己肯定感上がる。
“一応”得意教科の英語ということで高校は文系クラス。
大学もそっち系へ。
まあまあ長ーい海外生活。
英語を教えてみたいと思い教員免許取得。
『学び合い』に出会い、教員が自分の専門教科を子どもたちに教えるという行為の無意味性を知る。
一人ひとりの子どもの人生を幸せにすること
これこそが教師の役目だ。
そう!それは正しい。間違いない。
子どもの幸せを実現するんだ!
ん。
あれ、
じゃあぼくがこれまで学んできた英語の意味は、何処へ。。
「ぼくはこれから英語を学び続ける意味、
あるのかな」
とこの頃最近近頃最近、ずっと悩んでた。
英語の勉強、サボり気味だった。
でも、恩師と、
(そういえば、恩師とか先生、担当教員ってブログの中に出てきますが、ほぼだいたいそれはぼくが所属するゼミの先生、西川純先生のことです。申し遅れて失礼)
日々のくだらない会話、壮大な夢を語る会話、真面目な話をする会話等を重ねていくうちに
なんか視界が晴れた気がする。
やっとこさ、
ぼくが英語を学び続ける必要性
を見つけれた。
その理由は、、
恥ずかしいからここには書きません(笑)
(できるだけ)赤裸々に書く
と最初のブログで目標打ち立てたのに、破っちゃう形になりましたが。
まぁ、
ぼくに直接聞いていただければ、お話します。
もし興味がありましたら、是非。