補助輪教育はやめよう

 

英語以外に、

中学の頃、社会がすんごい得意だった。

もしかしたら、英語以上に。

途中からではあるが、定期テストで90点以上連発していたのは過去の話。

 

高校に上がってから、

社会、いわゆる日本史やら世界史、経済

が不得意教科へと陥落した。

1年生の夏の定期テストで、世界史が30点を切ったときには、頭が真っ白になった。

 

小学校、中学校は算数・数学が苦手だった。

中学校に関しては、塾に通いしてたのにも関わらず全く点数が上がらなかった。50点行けば、密かにガッツポーズをしていた。そのレベルである。高校入試も数学悪過ぎて親を落胆させた記憶がある。

 

高校に上がってから、

なぜか知らんけど一年生の頃の数学は平均150/200点をキープしていた。

ぼくにしてなかなかの点数である。

2年生になって数学担当の先生が替わると、

ガクンと成績が下がり、そのまま苦手教科の殿堂入りをした。

どうしたものかと毎日頭を抱えていた。

 

 

振り返ってみると、教師の存在

モロ成績に影響していることに気がつきました。

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成績が良い時の教師は決まって褒め上手だった。

その先生に褒められたいという一心で、勉強を頑張っていたのかもしれない。

まぁ、英語も然り。

 

学校の成績とか点数とか、そんなもの正直ばちぼこどうでもいいんですけど。

 

それでも、どうしても点数に拘るのであれば、

教師ありきの授業は

やめた方がいいですよ。

 

ぼくみたいな、ある教師の存在に固執し、その教師に褒められたいがために勉強し、好成績を残す子どもを再生産しないために。

その子はきっと、どこかで必ずつまづきます。

だって、教師として魅力的なあなた

今子どもの前にいないのですから。

その子の未来に、

あなたはいないのですから。

 

教師がいるから学ぶ子ども

なんて将来絶対不幸になる。

教師という補助輪がなくても学び続ける子ども、我々はそんな子どもを育てるべきなんだよなぁ。