過去のぼくと『学び合い』
卒業論文作成期間は、お恥ずかしい時期だったなぁと今になって思う。
あるシステムと『学び合い』を使って、新しい教育実践を考察して、ちょっとおもしろい授業デザインをしちゃうぜベイベー
っていうのが、大まかなテーマでした。
本格的に卒論開始する数ヶ月前に出会ったのが『学び合い』だった。
浅ーく理解していた。
当時、
『学び合い』=クラス全員の学力を向上させながら、おまけで生徒間の友好な人間関係を築くことができる最高の授業テクニック
としてしか、捉えていなかった。
その分際でありながら、周りの人に
「学び合い」っていうおもしろい授業方法があってさ!
なんて周りに自慢げに話していた。
(あのとき、『学び合い』はぼくがいた地域には、広がっていなかったから)
あたかも教育パイオニアのように、なんか誇らしげに思っていた。
振り返ってみると、あのときのぼくは
テクニック程度に『学び合い』を認識していた。
「学び合い」程度に。
アクティブ・ラーニングにちょっと毛が生えた程度のあれ。
親殺しのパラドックス
【思考】考え出すと眠れなくなる摩訶不思議なパラドックス5つ - e-StoryPost
というものがあるように、過去に戻ることは不可能なのだけれど、
もし可能なら昔の自分に言ってやりたい。
『学び合い』は
テクニックじゃないよ!考え方だよ!
学び合えばいいってわけじゃなくて、
1人も見捨てないに拘り、
そしてそれが自分にとって得である
それが一人ひとりの幸せにつながるんだよ
これが『学び合い』の真髄だよ
って言っておきたい。
きっと、
「未来のお前、何言ってるの(笑)
なんかアツ苦しくて、どした」
て、言ってるだろうけど。
自分の闇歴史っていうのは、こうやってできていくんだなぁと、過去を振り返る。
そんな年始。
あちゃーー。