教育の受け入れ態勢

なんかの講演会やシンポジウムで

基調講演等する人って良いこと言うし、

自分が思いつかないことも言う。

 

でも、たまに、

うんうん!

ってその人がお話ししているものに頷いてると、途中で、

あれれ?

って、バラエティ番組のひな壇芸人のようにズコッーて一斉にずっこけてしまいそうになる瞬間もある。

 

まっすぐ走ってたのに、なぜかいきなり草叢に逸れていく、そんなイメージ。

 

かと言って、

じゃあ その講演会はムダだから

参加しない方がええってことね

と言うのは非常に勿体ない。

 

それ全部が悪いわけじゃないの。

 

核というか幹の部分、つまりは目標だったり願いはきっと一致してるはず。

(だからその講演会に参加してるのだけれど)

ただ、その目標に向かうためのプロセスだったり考え方が、ちょっと違うだけ。

枝分かれした木

がまさにそれ。

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いろんな種類の花が咲いてる木のように。

 

だから

「全部に聞く耳を持たない!」

と受容自体を拒絶するんじゃなくて、

直感的に良いなぁと感じた部分を参考にしてみ

ようかな、ぐらいがちょうど良いと思う。

 

せめて

「あ、そういう考えなんだぁ」

「ぼくとの違いはそういうとこかぁ」

を得られるものになればベリーグッドかなと。

 

『学び合い』とか 学びの共同体 とか TOSS とか イエナプラン とか、幹になる部分はきっと共通で子どもの人生における幸せ を願っていて、ただ、それを叶えるための方法が違うだけなんだよ、上にある木のように。

 

現段階で、『』が子どもの幸せを保証する最高(マシ)の教育であることは、ぼくの中では揺るがないけれども。

 

否定的にならないで

変な偏見を持たないで

『』以外のいろんな教育を自分に吸収していく

 

今年はそんな年にしたい。