箱から考える教育

 

大きな段ボールの中には、

故郷から親が送ってくれた貴重な食材やお菓子等が詰まっている。

だが、箱の大きさの割に、量は少なめだ。

 

新しい靴を買った。ずっと欲しかったものだ。

箱の中から靴を取り出す。

箱と靴を見比べる。

大きい箱に包み込まれていた割には

得るものはこの二足の靴か。

 

婚約指輪を買ったとして。

プロポーズのときポケットから箱を取り出して、相手に向けて蓋をパッと開けたとして。

その箱に包まれていたダイヤモンドの指輪は

箱の中にチョンと差し込まれていた。

それ以外は、スペースで有り余っていた。

 

いろいろ例を列挙してみたけど、

 

大事なものって、

無駄に大きな何かに包み込まれているよなぁ。

 

そりゃあ壊れないようにっていう願いもあるから仕方ないけど。

過保護過ぎるんだよな。

 

大事なものさえ手に入れば、

あとはその箱ゴミ行きなのに。

 

授業もそう。

 

「学ぶ」という目標達成に向けて、

見えない何かが本来の目標を

大きく包み込んでいる気がする。

無駄に。過保護に。

 

見えない何かとは?と聞かれたならば、

答えようと思えば答えれるけど、

批判が来ること必至なので、ここでは辞めときますが。。

オブラートに包んで言えば、

子どもを信じない教師の心

ですかね。

だから、ICTを使ってちょっと子どもの行動を操作してやろう、みたいなのもそれですし。

 

まあまあ言うてますけども

それらを切り落とせば、

授業っていうもんは、

もっとシンプルで

もっとチャーミングで

もっと良いものになると思うんだよなぁ。