『語り』
いつだったかな。
同期のゼミ生が、シンプルな質問を西川先生にぶつけてた気がする。
「どうやったら、語りがうまくなりますかね?」
語りとは、『学び合い』の授業で
最初と最後の5分間程度、子どもたちの心に語りかける時間。
本時の授業目標を提示して、全員達成を語る。その内容は、自分のお好みのスパイスで結構。
子どもたちが全員達成をするために、どういう話をすればいいかは、教師(自分)次第だからだ。
それが語り。
そして、質問者の問いに対して先生は
「落語を聴く」
と、即効性がある具体的な提案をしてくれてた。そうそう、先生は、よく落語を聴くんだとか。
なるほど、先生の論理立てられてて起承転結がしっかりしてるあの構成は、だからか。
先生が話せば何か心にズシンとくるもの。その正体はそれか。なるほどなるほど合点承知の助。
と、質問者でもないぼくは密かに自己解決してたけど、そのあとに、先生は質問者にこう続けた。
「でもね、結局は、修羅場の数だよ。
いろんな修羅場で、どれだけ語ってくるかだ。君はまだその修羅場を知らない。
だから焦らなくていいよ。」
つまるところ、場数っていうわけですね。
それも、一般的でないというか、基準から逸脱しているというか、尋常ではないそんな空間での語りの数。
暴力団員やヤクザの息子たちがうじゃうじゃいるような教室とか。
24歳手前のぼくは、修羅場が少ない。
語りがうまくなるために、
数々の修羅場で語りをしたい。
まぁ、語りなんて30人中5人ないし3人に伝われば良いんですけどね。それで十分。それで『』は成功する。