学びの蓄積方法

 

友達と雑談していたり、時間を共有していると、

「そもそもなんでだ?」

が、突然ふと自分の頭に浮かび上がる。

 

例えば、ボウリングをしていて、最初の投球ではストライクをとったのに、それ以降は5本しか倒せなかったりまさかのガターを連発し、仕舞には、その団体内で最下位になるなんてことがある。ぼくは、技術面云々の問題ではなく(スコア200以上とることもあるからだ)心理面の問題ではないかと思う。

そう感じたから、ひたすら「ボーリング」「心理」「論文」などのキーワードを軸に調べる。

何か改善方法はないかと、ひたすら調べる。

その結果をみて、なんとなくすっきりしたら、それ以上は調べない。

キリがないからだ。まず、ボウリングでこの先食ってこうなんて思ってもいないし。

 

あ、そうそう。

昨日、山形から上越に帰る道中、車内でお互いの学生時代について話していた。

「初恋の人」「当時の友達」「給食の話」

まあ、一括りにしてしまえば、青春時代ですね。ゼミメンバーと昔話をシェアしていた。

 

そんな中、ふと何かを思い出し、「そういえばさ」と話したのが、

「なんで小・中学校では、まわりを意識して排泄を避ける傾向があるんだろうね?」

でした。

 

そこに至った話の流れは、ぼくが高校時代、入学式翌日の高校生最初のお昼休みで、周りのクラスメイトを巻き込むことに失敗し、おひとり様ランチが1,2週間続いたこと(初日はそれがあまりにもつらすぎて三口目以降は何も喉が通らなかったため家に持ち帰って涙目になりながら母親に事の発端を説明したのを今でも覚えている)を話してから、上記の話題になった。

ネガティブな過去は、ネガティブな話題を出すみたいですね。

ぼくは結構、人と変わっているところがあるので、"おひとり様”でいろいろトラブってました。まあ、ぼくのお話はまたいつか。

 

話がそれました。プレイバック。

 

高校生だと、割と堂々と排泄できていたのに、小学校・中学校はどうしても周りの目ばかり気にして、満足にできなかった。車内の友人みんあも「本当にそうだよね」という満場一致率。

 

研究室に来て、とりあえずイスに座った今日10:30。

昨日のその話がまだぼくの脳には残っていた。

気になっているのだなあということで

今日のほとんどは、パソコンでそれに関する論文を調べては、印刷して読む、「しっくりこないな..」、他になにかもっと良いのはないかと再検索..そんな感じで過ごしてました。

 

結局、腑に落ちなかったのですが、再検索の末、良い論文を見つけました。

でも閲覧規制がかかっている..どうしよう。。

ということで大学附属図書館に有料で複写を依頼しちゃいました。モヤモヤがとれないのはどうも歯がゆいので。手元に来るのは明日以降、ですかね。

 

「深入りしすぎない程度に、学ぶ」

これをモットーに日々、いろんなこと学んでいき、

ある時点で後ろを振り返った時、「お、いろんなこと学んできたんだなあ自分」なんて思えたら素敵だし、最高の学び方だと思う。