結果主義者の母親
「要は結果ですから」
最近まで、母親のこの言葉が非常に苦手だった。
ぼくが中学生のある日、胡散臭い塾講師が「うちの塾どう~?」って勧誘に来て、ぼくと母親二人で対応してました。
ぼく自身、頭は良くないが、中身のない勉強は異常に頑張っていたため、勉強時間だけは自慢できました。
その宣教師が、じゃなくて塾講師が、
「お子さん、すごく勉強されてますね~」
と褒めてくれた。嬉しかったのだけれど、
間髪入れずに母親が放ったのが冒頭のあの言葉。
このとき、初めて聞かさ(言わ)れたんですが、なんだろう、
「お母さん厳しいなあ」という思いと、
「あ、頑張ったという過程だけじゃ評価されないのか」という悲しさでした。
高校受験、大学受験、教採と、人生での大きな試験が自分の前に立ちはだかる度に、お母さんからは一言、「要は結果だから」の言葉だった。
毎回聞かされる度に、うんざりしたり、「あんたに何がわかるんだよ」と心の中で思っていました。
まあ、大きな試験はとりあえずはこの先当分なさそうだし、年齢も年齢だから、母親から言われることはもうないだろうなあと思っていた矢先だ。
西川研究室に入ってみれば、
「頑張ったかどうかじゃない。結果を出したかどうか。それだけ。」
というここでも母親と同じようなことを言う人物がいらっしゃった。
ぼくが今学んでいる『』という教育の考え方も、テストの点数という結果にこだわる。
尊敬する人、希望を持つ教育がそう言ってるんだ。
ここまで来ると、母親が言っていたことは間違いないし、正しかったのかなと思う。
十数年越しに、やっと答え合わせをできたみたいだ。
結果主義ね。悪くない。