旅行と学校と教育

 

ぼくは旅行が好きである。と言ってもまず一人で行くことはほとんどない。

 

旅先でクマに襲われたり、スリにあったりしたら、自分一人では到底対処できないというくだらない理由もあるが、一番は、ある「すごい」風景を見たとして、誰かにそのときの感情をシェアしようとしても、ぼくからの「すごいね」に誰も何も反応してくれないのは寂しいというものがあるからだろうなと。

 

旅行と言っても、基本的には自然の絶景巡りです。

「旅先に絶景がなければ嫌だ」

というぼくの小学生ばりの我儘をぶつけれてそれを十分理解してくれるのは、

他でもないぼくが今お付き合いしている恋人である。

今年のGWや夏休みは絶景の溜まり場であるどっかの県の島だったり日本から飛行機で何時間もかかる国への旅行が現在計画されている。計画中は真剣だけどお互いに生き生きとしている。おらワクワクすっぞ。

ノロケはここまでにして..

 

もしぼくがこよなく愛する絶景巡り旅行に、

たった今会ったばかりのような一人の人間が

「はじめまして。私があなたの旅行をサポートします。よろしくね。

始めにですが、この国のこの地域は行っちゃダメですよ。まだ君たちには早そうですし。あ、あとこのレストランもちょっと控えてね。行ったとしても、味がちょっと個人的には微妙だと思うわ。それと..」

 

こんなんされたら萎えの最大値を通り越して、本当の無気力になってしまう気がする。好きだったはずの旅行も、嫌いになるだろう。

 

でも同じようなことが、学校現場でも繰り広げられている。

・担任制

・カリキュラム(時間割)

・校則

などが原因かなと。

 

勝手に学校側が振り分けて一人の先生が「これからよろしくね」って。大学の研究室みたいに担当の指導教員(アドバイザー)を「子ども自らが選ぶ」環境でいいじゃないですか。子どもたちの勉学に向かうやる気は今より遥かにマシにはなると思うけど、現状の教育制度だと厳しい。

 

カリキュラムっとかももっと緩くていいと思います。最低限の単位を取るように仕組まれますけど、そもそもその最低限って誰のためのものなのか。その最低限さえ押さえてれば学校出たあともしっかり生きていけるんですかね。それよりももっと大事なものがあると思うんだけど気のせいでしょうか。

 

校則だって、細かーくありすぎですよね。

「それくらい知ってるちゅーに!」というものから「いや、そこまで規制するのは流石に引くわ..」のものまでのしっかりした品揃え。

もっとこう、大胆で良いと思います。

例えば

「人のものは盗まない」とか「いじめはしない」とかっていう当たり前だけど人としてすんごい大切なことをいくつか条文化し、学校側から子どもたちに提示。

で、そこからは子どもたちに任せましょう。

そうすると「守れなかった奴はこういう罰だ」とか「防止のためにこの活動をしよう」という案が子どもたちから出てくるはず。

まあ過激なものが発案されたら教師がミニストップをかけますが、基本は見守る。

 

旅行と重ねますが、

自分たちで計画するから、生き生きとするし、楽しい。

自己責任になるが、内容としては良いものになる。

 

大人の個人的な考えでいろいろと規制するから、勉強嫌いが続出するし、無気力な子どもが生まれる。

 

学校の在り方、もう一度考えてみよう。