小生意気に模擬授業を斬る
模擬授業(授業の練習)という言葉、
実はあんまり好きじゃないです。
なんで「児童・生徒役」と見立てたに過ぎない、
ただの大学生や大人を置いて、本番の授業をイメージしながら
やらなきゃいかんのでしょう。
想像力云々の問題じゃなくて、無理です。
目の前にいるのはただの大人。
どんなに想像力働かしてもも、かぼちゃやイチゴにはならないし、ましてや、子どもになんてなるわけない。
そして、「本気で教えなきゃ!」、ともなるわけない。
そもそも本番とは?
本番のための授業練習てことは、
それは何か、先生がその本番というものの中で芸のようなものを披露するということですか。
子ども主体の授業なのに、
先生側が、おもしろトークだったり
小道具とかを勝手に用意してきて、
子どもたちに見せるということでしょうか。
そのための練習ということでしたら、
なるほど、言い分はわかります。
でも、ナンセンスです。
そんなのを必要としている子どもは、ごく一部でしょう。
多く見積もって半分程度。
まあ、ゆくゆくは誰も必要としなくなるでしょうけど。
「模擬授業って、誰のためのものなんでしょうか?」
という考えが、
昨年の大事な教採時期に頭をぐるぐる徘徊し始めたもんで、
それにひどく悩まされました。
僕自身、わりと不器用というか、割り切れないものはとことん割り切れないので、二次試験の模擬授業に向けた練習は一切しませんでした。
本番まで、黒板に立って声を出して練習だなんてこと、
恥ずかしくてできませんでした。
「んーやっぱり納得できない..」
という気持ちが先行してしまったゆえ。
それでも受かりたかったので、
もちろん頭の中では「模擬授業」のシミュレーションはしましたけど。
どんな課題が来ても授業を「披露」できるように、
パターンを3つほど作っておいて本番に臨みました。
授業の練習なんていらない。
「この子たちには、将来どうなってほしいか」
この願いさえ自分の中でしっかりと確立し、
それを2割の子が理解できるように言語化できれば、
それでいいと思うんだけどなあ。
考えが甘いかな。