教科担任制はいらない。
ぼくが住む学生寮のお風呂は、
10人ほどお湯に浸かれるくらい
それなりに広い。
昨日、シャンプーをしていたら、後ろの浴槽から
3,4人でお風呂に浸かりながら談笑する男子学生
が、自分の専門教科について話し合ってた。
きっと、この春入学したばかりのピチピチの学部一年生だ。
趣味悪いですけど、聞き耳を立てるのが癖になっている。
特に、お風呂場は。
そこで、世の新しいトレンドとかおもしろい噂話を手に入れようと毎回試みるが、だいたいはほとんど聞き取れない。
でも昨日は、その男子学生集団の会話から、この部分だけ聞き取れた。
A「お前教科は何専門(で入学した)?」
B「社会。一応得意教科だからさ。」
A「へーそうなんだ。俺も社会専科だよ!」
ぼくは、自分の過去もそうだったため懐かしさに浸りながらも、
「でもな~」と萎えていた。
それってつまり、その教科を、教壇に立ったら子どもたちに教えるってことだよなあと。つまり一斉授業形式で。
得意と言っちゃってるから、きっとそうだよなあと。
教える前提で教師を目指していることを察したから、
残念に思う自分がいた。
教師になるのに、今は、いや、ゆくゆくは
選考基準に得意教科とかは関係ないものであってほしい。
試験を実施する自治体は、受験者の先見性、
つまりは、「これからの日本(世界)はこうなるから、子どもたちのこの部分をこの考え方・方法で育てていく必要がある」
というヴィジョンを明確に言える人材確保が肝になってくる。
(今の教師全入時代に、そんな余裕はないが)
教師に必要な力は、
子どものこれからの未来を真剣に見れる人。
そして、どんな未来を目の前の子どもたちに作っていって欲しいか。
その能力と願いをしっかり持ってる人を、
ぼくであれば採用する。
専門教科の得意不得意関係なく。
自分の専門教科なんて、あくまでおまけに過ぎないですからね。
「その教科でOOできる子を育てる」
というヴィジョンがあったとしよう。
OOできる子が果たしてその子の幸せにつながるのか。
その教科じゃなくてもOOできるようになるのでは。
そういう意味では、
教科担任制って、ぼくには合わない。