「幸せ」を別の言葉で表現

 「一人一人の幸せを」

「20年後、30年後の幸せ」

「幸福のために」

 

ていうものを自分の人生の中で実現するために学ぶし、人と関わる。

 

実際、『』でもそれが最終目標なわけですし。

 

ただ、過去を振り返ると、

ぼくの周りには「幸せ」「幸福」を濫用して詐欺まがいのことをしてくる輩が多かれ少なかれいたもんだから、あんまりそういう言葉が、実のところ好きではない。

胡散臭さプンプンに感じられるのだ。

 

生まれ育った環境が、そうさせているのだろう。

それは仕方ない。

 

もちろん、『』に関しては

先生が目指すユートピア(幸せ)がどんなものか、なぜそれを目指すことになったのかの経緯を知っているから、「幸せ」と言われても何も否定的な感情は湧かない。むしろ、好感させ抱く。

 

でも、ぼくが知らない、どっかのなんかの誰かが「幸せ」という言葉を使って語り出したら、ぼくはその胡散臭さに鼻をつまんでしまうだろう。

 

先生が話す「幸せ」も、先生のことを知らないどっかのなんかの誰かにとっては胡散臭さの塊なのかもしれない。ゆえ、攻撃的になるのかもしれない。

 

もし、「幸せ」という言葉がそうさせているのなら、代替案を、何か、もっとこう、万人、いやできるだけ多くの人に納得してもらえるような言葉に替える必要があるよなぁとぼくは最近考えてる。

 

幸せという言葉に対して、

「何をぬかすか」

「暑苦しいというかなんか宗教臭い」

と思われた方に合う言葉..

ぼくであれば、そうですね。

充実した生活

というワードならしっくりくると思うんだよなあ。

ま、あくまで個人的な考えですし、ここからさらに掘り下げて話を深化させるつもりは毛頭ありません。

 

自分が授業や講演会で語るとき、なるべく幸せという言葉を使わずにこの「充実した生活」というワードを使って語って行けたらなあと思うだけ。

とはいっても、「幸せ」という言葉の方がしっくりくる部分もあるんですけどね。