ぼくの教採を時系列に
ぼくは昨年、人生二度目の受験で、教採に合格した。
学部生のころに受けたところは、なかなかの難関自治体だった。
教員養成系大学でもないし、本気で教員を目指すものが周りにいなかったため、独学では薄々「無理ゲー」とは気づいていた。しかし二次試験まで漕ぎつくことができたのは、正直びっくりであった。
今風に言えば、「ワンチャンあるんじゃね?」状態であったため、二次の合格発表をネットで見るまでは、リアルな人生設計をすでに終えていた。
何年に結婚して、何年に子どもが生まれて、何年に新車を購入して..etc
大した二次試験対策もしてなかったのに、なんでそこまでしていたのか、今思えば甚だ疑問である。
案の定、そこで自分の番号は見つけられなかった。
そのときは、
「あ、夢だこれ。」
なんて思ってた。
有名な手相占い師には「良い教師になるよ」なんて言われてたし、試験ではそれなりの好感触があったし、何より教師になる覚悟・熱意は伝えれたから面接官に良い印象与えられてたし、だから、なんとなく大丈夫だと思ってたからだ。
ここまで来ると、そりゃ人生設計せずにはいられないだろう。
だから一旦、その「夢」と思われる空間で、スマホを閉じた。
そして目を強くギュッと閉じた。
「さあ、目覚めるか」
と意識を集中。
あいにく夢から覚める、みんなもよく知るあの感覚が全くなかったけど、勝手に覚めたことにして、改めてスマホの画面を開いた。
なぜか、やっぱり、ぼくの受験番号がなかった。
おかしいと思い、先ほどの行動を2,3回ほど繰り返したが、やっぱりなかった。
そこではじめて「落ちた」ことを実感し、一人暗い部屋で叫んで、悔し涙を流した。
これが教採一回目のエピソード。
ここで落ちたのをきっかけに、進学決意⇒『学び合い』との出会い⇒入学
という流れになった。今思えば、落ちてよかった。
教採二回目は、去年の話。
落ちた後は、やけくそになって「勉強離れ」してしまい、とにかく卒論・サークル・バイトで気を紛らわした。
進学前の春休みに、一時帰省。
たまたま一つ上の兄も帰ってきていた。
そこでこんな会話があった。
僕「院行くわ。だから二年後かな、教師は。」
兄「そうなん。でも今年は試験受けるんだよね?」
僕「いや、今年は研究しつつ勉強して、来年受けるよ。」
兄「でも受けれるんなら受けたほうがよくね?」
確かに、練習がてらでもいいから受けれるなら受けておいて損はないなあと思い、兄の考えを採用した。
院入学と同時に本格的に、実に半年ぶりに、教育心理やら教育原理に手をつけた。
懐かしさと物忘れのひどさに悶絶しながら、毎日勉強した。
数少ないお友達の飲みのお誘いを断わっては勉強。
たとえ飲んだ後でも勉強。
もう一年チャンスがあるとはいえ、切羽詰まっていたので必死でした。
まあ、でも学部生のころの勉強が土台としてしっかりしていたため、悶絶期はすぐに終わり、まあまあすいすいとインプット・アウトプットを行うことができた。
前年の受験自治体へのリベンジに燃えていたから、モチベーションは最高潮だった。
でも、あっけなく一次試験で落とされた。
笑いしか出なかった。
去年より劣化してる自分に呆れきっていた。
しかし、併願していた自治体はこれといった対策もしていなかったし、実際、試験も難しかった。自己採点しても微妙だったから諦めていたのだけれど、そこは一次通過していた。
「こんなことある?」と思いながら、お盆中に急いで二次対策をしてなんとか合格をもぎ取ったのがぼくの採用先である。
併願とはいえ、今のところはそこに満足している。
なんなら、第一志望先より良いところがいっぱいあることを合格後に気づいた。
こんな感じですね、この二年間の教採の成り行きは。
教採について書いていたら、いろいろと書きたくなりました。
明日は、結果的に合格に漕ぎ着いたぼくが、どんな勉強法をしてきたのかを書いてみたいです。