教育のチート

 

ぼくが常日頃構想している、

「子ども主体」で限りなく「自由な教育」は、

「その発想はたまたげたなあ」

と思う人がいる一方で、

「まだまだ窮屈な発想だね」

と思う人もいるのは間違いない。

 

そう考えると、そんなちっぽけな存在の自分に呆れてしまう。

 

公立校という法律や国からの命令に雁字搦め状態の教育現場で、ぼくがそれなりに自由にそしてストレスフリーに働くための方法の一つに、それらの中にあるたくさんの文言から(良い意味の)抜け穴を見つけ、法的に全然セーフな考えを生み出し行動を突き通すことなのかなと思う。

 

となると、今となっては全く読むことのなくなった学習指導要領や教育基本法を解読する必要性が出てくる。

 

とは言っても、西川先生に、

「先生のそれ(その考え)ってアリなんですか?」

「先生、それダメじゃないですか?」

煽れば、もとい問えば、

「何を言ってる。良いに決まってるだろう。OOOには明記されてないんだ。しかも..」

とうまーくぼくにはあの難解で膨大な情報を抜粋してくれる上に、声に出して聞かせてくれるから、楽に是か非かを判断できる。そして、「だったらさ..」とぼくの考える材料になる。

 

でも、そろそろ自立せねば。

 

とは言っても、司法試験を受けるわけでもないぼくは、一言一句読み進めて解読するのはちょっと違う気がする。

いや、良いことなのだけど、溜まっている業務と並行してやるのは厳しい。

 

しかし、この時代だ。

「これってどうなんだ」

をネットに問えば、なかなかにわかりやすい説明と事例が画面に表示される。

使わない手はない。

 

これまで「今年の抱負」を並べてきたけど、

ネット検索

⇒法律上問題ないルールの抜け道見つけ出す

⇒考案・行動

現場に出る前に、こういった部分にも注力したい。

ネット以外にも、現場を知る現職教員ゼミ生にも聞きますが。

 

最強の盾(言い分)を用意してるのが教育現場だとしたら、

それを論破できるような最強の矛(理論)を作りたい。

ことわざにある矛盾なんて生じさせんぞ。

言うてますけど。