ライブと学校は違う

 

昨日はあるバンドのワンマンライブに参戦した。

それはもう好きで好きでしょうがないバンドだから、

2時間半、ずっと立ちっぱなしでも苦ではなかった。

歌に合わせて手を突き出しながらぼくも熱唱。

ライブ終了後は、ずっと余韻に浸ってた。

「あぁ、また行こう」

とすでに次自分が行けそうなライブ情報を探している。

明日やこれからの生きる活力になる。

 

感動とはまさにこのこと。

ずっと見ていられる。

そう思えた。

 

でも、上記の現象が起きるのって

当たり前ですが、そのバンドが好きな自分がいるからなわけであります。

 

授業もLIVEと一緒。

 

 

教師や講師の発想・構想・話術・内容・立ち振る舞い..

そういった話者中心に時間が進められるものに、

見たい人がお金を払って、または自分の意志で、

その空間に本人が身を置くのであれば全然良い。

 

でも現状の公立学校で話者(=教師)中心に進められる授業(つまりは一斉授業や中途半端なAL)は、どうしても気にくわない。

 

その話者のことを、みんながみんな、好きではないし、

求めているわけではない。

それなのに、なぜそんなに自信満々に授業をしていられるのか、

ぼくには全くもって理解できない。

 

どこかのバンドを意識して、ステージに立って歌えば、歓声が沸くような

あのハイな気分でも味わっているのだろうか。

であれば、ここ(公立学校)ではなくて、ほか(学校外)でやってくれ。

 

公立の場は、ファンが集まる場所ではない。

 

と、昨日のライブを学校に当てはめて考えてみる。