体温と教育
だれだって丁度いい室温はある。
ぼくは平均体温が比較的高いため、みんなが長袖長ズボンの防寒着を身にまとっているとき、平気で半袖短パンで過ごすことがある。
おそらく僕以外にも、みんなそれぞれ適温があることでしょう。
だから、たとえば、25℃の部屋で
「じゃあ、今日はこの作業を、この長袖短パンの作業服を着てやってね」
なんて言われたら、絶対捗らないだろう。
ぼく以外にも、きっと何人かは捗らないだろう。
「25℃に対して長袖短パンは問題ない人」は順調に作業を進められるだろう。
でも、ぼくは無理だ。
暑い。
だって、それぞれの適温があるのだから。
それなのに、課題提供者は図々しくも結果を求めてくる。
一斉授業なんてまさにそうですよね。
それぞれのペースややり方があるのに、
教師主導の授業形態を教室のみんなに当てはめ、統一して、
「じゃあ結果(良い点数)出してね。」
という始末である。
適温ならぬ適法(この場合は「法規に適していること」の意とは違う別のもの)があるのだから、子どもに選ばせてくれ。
まあ、その教師主導の授業スタイルが好きで選んだ場合は良いと思う。
塾とかね。私立校とかね。
それが彼らにとって適温なんだから。
でも、公立校にはいろんな人が来るんだから、そこんとこは配慮してよね。
なんて思ってみる。