下手に自分をつくるな

 

いよいよ教採(一次試験)が二か月くらい前となりましたね。

 

教採の在り方というか採用方法には甚だ大きな疑問がありますが、

もし仮に現状の採用方法で、そして二次試験の面接で、

ぼくが面接官だとしたら、受験者のどこを見るかを

考えてみた。

 

自分の「ありのまま」をどれだけ出せているかをみるだろうな。その言葉に尽きる。

 

たどたどしくても、何回噛んでも構わない。

しっかり自分の意見を、信念を、どれだけ強く言えるか

(もちろんその「考え方」自体も見ますが)、なのかなと。

 

だからいかにも面接対策バッチりしてきました感がプンプンで丹精込めて作り上げたであろう丸暗記文をちょっと感情が混ざった近未来のロボットが話すような受験生には良い印象を持たないだろう。

 

「あ、練習してきたのね」

「どうせこの質問も予習済みなんでしょ」

 

そう思ってしまうと、もうその面接は興ざめそのものだ。

 

アドリブ性を重視したい。

 

自分にはそういうちょっと熱いところというかこだわりがあるから、去年の面接練習は苦痛であった。「試験に備えて」という前提が気に入らないと思いながら受ける練習は拷問であった。

結局は、受かる受からないは自己責任なので、

二回しか練習をお願いしませんでしたが。

 

もちろん、ほぼアドリブなので、二次試験はたどたどしさが出てしまう部分があったけど、思っていることをほとんどぶつけることができたし、最低限の言葉遣いで臨んだので、面接後は気分爽快だった。ストレスフリーだったし。

 

 

面接に小細工はいらない。

 

ありのままの自分、ありのままの考え方を見れれば、

ぼくはそれでいい。