アドバイスは絶対じゃない
今日の午後は友人らとお魚釣りを楽しんでおりました。
どうやらこの時期はキスだそうで、
運が良いことに大漁でした。
竿を振り、リールを巻けば、1匹2匹は付いてくる。
その繰り返しだったので、気づけばぼくは20匹ほど釣れていた。
それでも友人の何人かは途中まで引きが悪かったようで、
「コツを教えてよ!」
なんてアドバイスを求められた。
それなりの説明をしたけど、
見当違いなコツだったらどうしようと思っていた。
というのも、今回はマグレだったと思っているからだ。
たまたま今日麦わら帽子を被っていたからかもしれないし
Bluetoothイヤホンで音楽を聴きながら釣っていた
からかもしれないし、
最近買ったお気に入りの黒シャツを着ていたから
魚の微かな引きを感じ取れていたからかもしれないし。。
良い結果が出ているのはコツ以前に誰にも適用されない、
「その人」自身の何かが働いているからではないかと思う。
環境×気分×服装=そのときのコツ(技術)
というんでしょうかね。
n²×h⁴×z⁵×..cⁿ⁻¹通りの確率論的なモンが働いている可能性も無きにしも非ずなわけでありまして。
必ずしもアドバイスは誰にでも適合するわけじゃない。
あなたは「ぼく/わたしはそう思うかな」と言うべきだし、
その相手も「彼/彼女はそう考えているみたい」と捉えるべきだと思う。
で、そこから何をすべきかを自分で考えれれば、もうこれは間違いない。
何が間違いないのかはわからないが。
だから、
「OOには△△△が絶対おススメです!」
と、半ば強制的な勉強法を売り文句にしているものを
見ると、アドバイス程度に止めておけばいいのにとこっそり思う。
授業法も然り。
マシな授業はあるけれど、絶対は、ない。