教員養成系大学じゃなくて良かった。
学部生の頃を振り返ってみる。
ぼくは教員養成系大学出身ではない。
かと言って、
「将来の職業はこれ!」という専門的技能を習得するような大学・学部ではなく、地方公立大学の「職業?なんでもどんと来い!」というようなマルチな大学・学部卒である。
だから、みなさんご存知の中高英語免許を持っている。
そもそも、高校卒業前と卒業後の数年間は教師になるつもりは毛頭なかった。
この(マルチ)大学なら大丈夫か、
という当時の進路選択は、今思えば結果的に良かったと思う。
現在のぼくが、『学び合い』の本質を知ってしまったぼくが、
もし教員養成系大学になんて在籍したら、
きっと辛い4年間を過ごすことになっていただろう。
だって、「OO教授法」とか「OOの指導」なんて、
莫大な理論と実践的データの集積である『』の視点から見れば、
「それはそうじゃなくてこうなんじゃないの?」
とか
「そもそも教師がやる必要性ないよね?」
と思うし言いたくなる。
周りから見れば生意気な学生として見られていただろう。
そして講師・教授陣と対立しながら、免許取得目的で仕方なく意味の感じられない授業をとらなければならなかっただろうな、と思う。
もしかしたら、進路の転職を考えるハメになっていたかもしれない。
もどかしさで胸が八つ裂きになっていたにちがいない。
そういう意味では、某旧帝大を諦めて、近くの国立大をも志願リストから外して、地方のマルチ大学へ進学したこの過去は、間違いじゃなかったし、
大学選びの際、
「教師なろうかな」⇒「教員養成系大学へ行こう」
と間違ってもならなくて良かったとすくづく思う。