ぼくは「いただきます」にキュンとする
ここ最近、食事を前にして
「いただきます」
とボソッと手を合わせてあいさつをする人を見ると、
「いいねぇ」
とキュンとする。
それも、一人飯をしてる人がするとなおさらだ。
理由はわからない。
でも、人目を気にしないで一人ボソッとあいさつをする姿は
たまらなく好きだ。
惰性でやっているとしても好きだ。
でももっと好きなのは、
たった1秒も無いくらいのその瞬間に
「今日もこの食事で生かされている。自分が生きるために殺された多くの動物、摘み取られたたくさんの植物、そしてぼくの口にこれらが運ばれるように運送してくれた業者の方々、なんなら育ててくれたファーマーの方々、ありがとう。今日も無事に生きれます。こんな日がずっと続きますように。いただきます。」
なんてことを長々口に出して言わないにしても、
一瞬でも頭をよぎって、お祈りしているのであれば、
なお嬉しい。
重い内容だ。
でも事実だし、人間は地球上最もヒエラルキーが高い高等動物だから、
今もこうやって生きてられる。
それが成り立っているのは僕らより弱い下等動物の命のおかげである。
ぼくは、
「ぼくらが強くて、それ以外が弱いんだから生き残れて当然。何も思わない。」
ではなくて、
「ぼくらが強くてそれ以外が弱いから生き残れるのは事実だけど、ぼくら以外の動物の命があるおかげで今日も生きられている」
という認識がもともとあって、時折それが頭をよぎるもんだから
暗い気持ちで食事を済ませることがある。
まあ、でも、事実ですしね。
そういう意味では、
「いただきます」と手を合わせ、祈るあの行為を
大事にしていきたいし、一人でも多くの人にしてもらえたら、
食品ロス問題も少しくらいは解消されると思うんだなあ。
そしてこれが本当の食育だと思う。
食育の第一歩だと、思いにけり。