ワンマン対策よりタイバン対策

 

むかし、一度だけ感電死しそうになったことがある。

 

それは確か小学校3年生のとき。

今の小学校はどうかわからないが、当時、ぼくの学校には

どの学年どのクラスにも生物係というものがあった。

というか流行っていた。

いわゆる小動物をクラスで育てて、命の大切さを身近に感じよう、

という目論見が教育界にはあったのかな。

 

ぼくのクラスでは金魚を飼っていた。

 

水槽、エアーポンプ、アクアリウムライト、砂利..

金魚にとってはなかなかの良環境。

 

ぼくはよく、教室でみんながガヤガヤしてるときに

一人、ボーっと金魚を観察することがあった。

 

そのとき、エアーポンプのコンセントが抜けかけていたから、

「これはお魚さんにとって後々まずい」と思い、

濡れた手でコンセントに差し込もうとした。

 

すると、初めての感覚・衝動が体に走った。

痛いわけではないけれど、呼吸がしずらくなり、

心臓がなんかで覆われて圧迫されているような

そんな感じ。一瞬ですけど。

 

そう、感電でした。

 

今思えば、もうちょい強い電気が使われていたら、

死んでいたのかなと思う。

まだポンプレベルで良かった。

 

もし、あのときぼくが致命傷を負っていたら、

当時の担任はきっと、いろいろと処罰を受けていたに違いない。

「悪いのは先生だー!」って。

学校内で「生物係」創設の合意形成があったのに

重い罰を受けるのは担任。

 

環境整備最高責任者として、ですかね。

 

けれども、なんだかなあ、と思う。

 

その環境を作ったのは教師であるが、

四六時中、教室内を監視するのは不可能。

ゆえに生じた出来事だと思う。

 

しかもぼく個人が勝手に起こしたものに過ぎない。

 

それなのに、責められるのは担任教師。

 

自分で起こした事故だけれど、当時を振り返って「もしも..」と考えたら

教師を気の毒に思う。そして、その自分に対して「厄介だなあ」と思う。

 

危険なものが子どもの届く範囲にあったことも問題ですけど 

でも「やらなければならない」状況であったとすれば、

ぼくだったら、「絶対にやってはいけない最低限の注意事項」を最初に子どもたちに提示し、そのあとに「じゃあ、みんなで育てよう」と言うだろうな、と。

 

つまりは、なるべく事故が生じないように子どもの中にそういう意識づけを行います、『』を通して。

そうすれば、みんなで事故を起こさないように相互作用が働くはず。

これはもちろん教師(自分)の責任逃れや保身をしようという魂胆ではない。

 

何も教師が全責任を負うために身も心も削らなくてもいいのでないかということです。

 

1人で未然防止を目指すより、みんなを巻き込んで

目指したほうが良いに決まっている。

 

と思うんです。