「喧嘩するほど仲が良い」わけではない

 

ぼくとぼくの婚約者との間では、お付き合いしてから一度も争いごと・喧嘩は勃発したことがない。険悪なムードさえ、一度あったかな、くらい。

 

そもそもぼく自身、喧嘩を進んでするタイプの人間ではないし、恋人や友人、人との付き合いでは、そういう雰囲気に移りそうなときは自然と未然防止対策としてぼくが折れている気がする、無意識に。

 

それか、相手の逆鱗に触れる手前くらいで、ベクトルをひょいっと変える。具体的には話題を変えたり、相手の気分を見計らう。

 

以前のブログでも書きましたが、幼少期の頃から相手の顔を伺う環境で育ったので、なんとなくではありますが、何が相手にとってまずいか、感覚的にわかる。なお、たまに大外れすることもある。

 

それが今に活かされているのかなと。

 

ある友人から、

「喧嘩したことないのに結婚して大丈夫?」

と聞かれたことがある。

 

まあ、確かにその質問の意図もわからなくもない。

 

「これから待ち受けている結婚生活、子育て、老後..いざ喧嘩が起きたら大変なことになるだろう」という意味でしょう。

まあ、それも可能性としてはあるけど、

前述したように、喧嘩はぼくもそうだし向こうも好まないから、その面では大丈夫なのかなと考えている。お互いイライラして険悪になることはあるだろうけれど、大したことはないはず。

そこはお互いに折り合いをつけられたらなぁ、と。

 

喧嘩するほど仲が良い、という言葉がある。

 

確かに間違ってはないけれど、

喧嘩しがちなカップルのその争いごとの内容は、

ぼくにとって、「え!そんなことで?」というものが多々ある気がする。

その程度のことなら、ぼくなら自ら折れるだろうなぁ、

婚約者の方がそこは譲ってくれるに違いない、というものばかり。

 

その言葉にはきっと、「たくさんの喧嘩を乗り越えた先にはどんなことにも屈しない二人の関係が構築されるであろう」という願望があるんだろう。

でも、喧嘩ほど無駄で、労力を使い、生産性のない悲しいものはない。

 

「喧嘩を回避する柔軟性があるほど仲が良い」

という言葉の方がぼくにはフィットしている気がする。