見直したい教採の在り方

 

「その教科にどれだけ優れているかどうかを採用のための判断基準」にしている今の教採のシステムが気に入らない。

初めての教採受験の年以前から、それは思っていた。

 

明治時代ならまだわかります。

 

当時の学校・教育は、物知り=教師 じゃないと成り立たなかったわけですし。

今みたいにインターネットなんて存在しないそんな時代。

どれだけ知識があって、どれだけ教科書の内容を網羅し、そして教えられるか、この能力で十分過ぎた。

 

でも今は違う。

昨今の学び方は本当に多種多様。

教師が牛耳る授業なんていつの時代のことか。

子どもが学びをどう選択するか、

そしてそれをどう補助するか、

それが21世紀の教師の仕事であるべき。

 

そうなると、教師が物知りじゃなくても良いはず。

 

粋な英語表現、すんごい便利な計算式、バク転が簡単にできる方法..

ごめんなさい、どれもインターネットに載ってます。

教師が覚える必要ないし、教えなくてもいい。

子どもが必要だなっと思ったら、調べ、学び、活用します。

 

時間内にどれだけ正確に解けるかにフォーカスした教採一次試験。

 

まあ、確かに、常識的な範囲をどれだけ解けるかは知る必要あるので、「筆記試験撤廃」とまでは言いません。「分数?あれできないんだよね(笑)」なんていうチャランポランが採用されても困りますし。

でも、今の試験は、「これいらなくね?」という重要度の低い内容の試験が散見される。あぁ、物知りをここで判別するんだなあみたいな。

「最低限これくらいは解けてね」試験で、チャランポランを振るい落とすならまだわかるのですが。。あまりにも物知り試験に比重がかかりすぎてる気がして。

 

結果、「頭は(知識的に)良いけど現場では役立たず」という非実践型教師が採用されてしまう。

反対に、「あの人が採用されないのはおかしい」という人に限ってずっと講師。

 

もどかしいったらありゃしない。

 

 

現時点でぼくが一番理想と考える採用試験は、一定期間その学校で働かせ(実習させ)てから、校長が「採用」or「不採用」を決めることだと思います。どれくらいその学校に合ってるかを見極める期間、いわば“試用期間”を採用試験に絡めて総合的に判断し、採用するのが、まだマシかなと思う。

学校によっては、その実習生・研修生をホッカイロのように使い捨てるかもしれない。だから労基署と連携するのも一つの手かも。

まあ、こうなると今の「公務員」と形が変わってしまうが。

でも、マシだと思う。

 

自分の知人が教採に苦労していることから、

ついつい感情がこみ上げて書いてしまった、そんなブログでした。

まあ、でも、その人を思ってただただ勢いで書いたというより、

前々から感じていたことを書いただけです。