教育と散歩は似ている

実家では、北海道犬という犬種のオスの犬を飼っている。

来週で13歳になる。人間でいう70代前半あたり。

我々の高齢社会につられて、ワンチャンも長生きだ。

きっと、あともう3年は生きると家族は期待している。

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ここ数年を振り返れば、愛犬の散歩に対する考え方がガラッと変わった。

今までは、どの散歩ルートにするかの決定権は飼い主の自分にあった。

自分の判断に背くルートを選ぼうとするならば、リードをぐいっと引っ張っていた。

 

しかし今はどうだろうか。

もう散歩コースはすべて彼にすべて託している

家を出て300メートル徒歩圏内には、計8つの分かれ道があるのだが、どの道を選ぼうが、すべて彼のそのときの気分・体調に任せている。

ぼくに限らず、家族全員そんな感じです。

彼自身が満足のいく散歩を自分で作り上げてくれればいいなぁという願いがある。

 

だから、場合によっては20分弱で終わることもあるし、1時間、長くて2時間になることもある。

 

まあ、それも彼が自分のモチベーション、体調と相談した結果なのだから。

 

もちろん、ダメなことをしようとしている場合は

(ドブに入ろうとしたり、他の犬のフンを食そうとしている場合など)

リードを引っ張ったり、注意をしたりする。

まあ、最低限の規制はある。

 

 

でも、考え方は『学び合い』というか教育の本来あるべき姿に似ている。

 

学びの主体が子どもであり、教師は最低限のルールと目指すべきゴールを提示して、あとは子ども達に任せるあの感じと。

無駄に教師がいろいろと「あれはダメこれはイイ」と口を出さないあの感じと。

 

散歩をしていると、教育に関わらずいろんな発見があるから楽しい。