『学び合い』の会のリフレクション
※書き終わったら、なんかすごい長文になっていた。
溜まっている洗濯を回したり、4日分の作り置きのおかずを作っていた方が有意義な時間を過ごせると思います。
何度も言いますが、このブログはあくまで自分のためのメモに過ぎないので、お時間あり、なおかつ読みたい方だけどうぞ。
昨日は、月1恒例の『学び合い』上越の会だった。
まだまだ顔なじみの参加者が多いけど、
毎回得るものは多いのかなと思う。
でも欲を言えば、顔も名前も知らない人が参加して、
意見交換出来たらなぁ、と贅沢な願望がある。それは置いといて。
昨日は、何について話し合ったかと言えば、
一言でまとめると、「これからの学校の在り方」です。
今の公教育の在り方には限界があり、終わりを迎えるであろうというのは、青二才のぼくでもわかる事実。たぶん、ある程度、学校に関する知識があれば、誰でもわかる。
だから、何も危機感を覚えていない教員もそうだが、従来通り学校を運営しようとしている呑気な管理職の存在をSNSや知人の愚痴で知ると、「もはや何もしない方がいいですよ」と言いたくなる。
一部ではN高やらフリースクールやらで騒がれているが、大きな動きがないように見える。でも、着実に動いている。ただ、「一気に」変わっていなから、そう見えるだけ。
全体の16%が動き始めたら、一気に変わるはず。
というかもう変わりはじめているのかな。
今、この状況はパーセンテージで言ったらどこなのか正直わからないけど。
「学校の在り方」というお題ではあったが、話は派生する。
印象に残っているのは以下の内容。
・不登校生徒はどう対応する?
不登校児童生徒の存在、みなさんならどう対応しますか?
ぼくなら、「来なよ!みんな待ってるよ!」と促します。
あ、過去の自分ならそうしてました。
今は、しつこくは誘わない気がします。
わざわざ嫌なところに通わせる必要がないと思います。また、仮に無理やり復帰させて、でもやっぱリタイアして、そこから親が介護を必要とする年齢までずーっとヒキコモリになられたら、罪悪感で胸が痛くなる。「あぁ、ぼくのせいか」と。
もちろん、学校の良いところについて話しますけど。
人と人とのネットワーク(つながり)を紡ぐ場所であり、そこは将来的に大きなものを得ることが可能であることを、『』の話を基盤に語ります。
それでも、ダメな場合は絶対あります。
そんなときに、N高やフリースクールなどの存在を提供します。
親に「また学校に通わせたいんですよね」と相談を受ける場合もあるでしょう。
「そうですよね」と同情し、頻繁に家庭訪問や電話をする。
そうするのが教員としてのあるべき姿だ。でも「どうしようもない」というのがわかっているのにするというジレンマに苦しめられる気がする。
親には、「子が変わらなければ意味がない」という前提で、話を進めていくつもりです。「無理やりさせる」という強制の先には何もないという前提とでも言いましょうか。ぼくはそんなスタンスです。
とは言っても、大大大前提として、
「学校に来る来ないは任せるけど、そのあとはどうするの?」
ということはその子に問い続けます。
まさか何も計画なく学校に行かない、家に引きこもる、何もしない、無気力、のままでいようというわけではないよね? と問います。
親が亡くなったその先の自分の悲惨さを伝えるだろうなぁ、脅迫ではないですからねこれ。
・教師の喜び
教師って「俺/私が卒業させたぜ!」っていう快感を一度味わうと、もうなかなか呪縛から逃れられないそうです、「卒業させなきゃ」という呪縛から。
子どもが卒業した後のガラッガランの教室にあるのは充実感と虚無感。
あれがたまらないんですって。癖になるというか。
だから自然と「卒業させようとする」みたいです。
特に一斉授業実践者は、自分の授業で子を育てる性質が強いから、余計にそうなるとその方は経験をもとにおっしゃっていた。
そういう面から、授業内で教師濃度が薄い『学び合い』を、早い段階ですることを推奨されていた。
これは、不登校児童生徒の対応に通ずる話である。
・転 職
お先真っ暗なこの先の教職というお仕事。
『』実践者だからなんとかなると思うし、これからの予測し難い未来にも、なんとか対応できると思う。
でも、きっと、ぼくのことだ、ある程度のところで、
公教育に見切りをつけて、公務員としての教師を辞する気がする。
もしかしたら学校を作ってしまう気がするなぁ、50代で。
なんて。ないかなぁ。ないよなぁ。
でも、昔、よく当たる手相占い師に、
「あなたのこの線、何か自営業をやりますね。40代か50代で。塾?学校かな?」と言われたことがあることをふと思い出した。
あるかなぁ。