ぼくの人生に影響を与えた人4選
ふと、自分のこれまでの人生に、大きく影響を与えた人物を思い出してみる。
「えーとあの人だろう、そしてあの人..。あ、あの人は外せないな」
主に、4名の先生が浮かび上がった。
本当は、さらに細かく見れば、もっといる、先生に限らず。
お母さんもそうだし、先輩Aもそうだし、友人Bもそうだし、そうそうあと恋人も。
でも、それらをあげるとキリがない。
だから今回は「先生」にフォーカスしてゆる~く図を作ってみた。
と言っても、25年間の学生期間を考慮すれば、自分のキャリア・人生に影響を与えるのが主に先生であるというのも頷ける。
金槌でトンッとなっているのは、その先生がベクトルを良い意味で変えてくれた、と捉えてくれれば。
小学校教師
特に得意な教科があるわけではなく、みんなから人気があるわけでもなく、「学校のここが好き!」というのも大してなかったけど、小1,2と4の時にお世話になった担任の先生のおかげで、毎日学校に通えてた気がする。
遊ぶ友達がいたけど、いじめてくる輩もいた。
それでも、「なんとかなる」と思っていた。
「この先生なら信頼できる」という感情があったからなのかも。
そして、微かに静かに、その人に対する憧れの灯がポッと出て、「学校の先生」を将来の夢の1つに数えてた気がする。
中学校教師
中学に上がると、新教科・英語がぼくの前に立ちはだかった。
今はそれなりに英語が得意だが、
当時はアルファベットをA~Z覚えるのにかなり苦労した。
そのせいで英語とは距離を置くようになり、中一の秋の段階で「ん?一般動詞?be動詞?なに?」というくらい何もかもサッパリだった。
もちろん成績は中の下かそれ以下。
でも僕が絶望的に英語を理解していないのは、先生にバレてなさそうだし、周りにもいじられることないし劣等感皆無やから、まぁ、このままでもええか、という具合だった。
でも、ある日の授業で、いつもの一斉授業形式の最初のアクティビティ(ランダムに生徒に当て、答えさせるクイズ形式のゲーム)が、ぼくを変えた。
「じゃ次、こうだい!be動詞はとは何?*1」
と先生に聞かれた。
しまった..!と思い、沈黙してた。だってこういう場面、入学してから半年経っても経験したことなかったし、ごまかし方を習得してなかったのだ。
周りの生徒も先生も黙っていた。「あ、こいつできないんだ(´・ω・)」と。
あの空気が、未だにトラウマだ。
後日、その先生との個人面談(あとで来なさい、と半ば連行された)のおかげで気合が入り、自ら主体的に勉強するようになった。成績はうなぎ登りですぐに学年の上位に入れた。
何せ、面談後、悔しさを理由に初めて誰もいないところで泣いた瞬間だったから、そりゃあ結果が出る。
あの瞬間がなかったら、まず、今、ここにいない。
大学のゼミの先生
大学のとき、2人の先生(ゼミの先生)にお世話になった。
というのも、在籍期間中、ゼミの先生は2回選ぶことができた。
1~2年生のときは観光に興味があったからYH先生のもとで学んだ。
3~4年生のときは、完全に教師になること決めていたから、YK先生のもとで学んだ。
特にYK先生は、今ぼくが在籍している上越教育大学教職大学院の進学を勧めてくれた恩人。研究面でも大変お世話になった。
もし違う人のもとでゼミ生をさせてもらっていたら、
きっとまた違った人生を歩んでいただろう。
上越教育大学にたまたま『』総本山があった、というより、
『』総本山がたまたま上越教育大学にあった、と言った方がいいが、
いずれにせよ、ここへ来ることを決定づけたのはYK先生との出会いだ。
もし、この出会いがなければ、今学んでいる『学び合い』という考えを血肉化させるのにさらに10年以上遅れてたり、いや、一生わからなかっただろうし、そもそも講師数年続けたのち正規教師になることを諦めて、教育という分野から退いていただろうし。
西川純
でもやっぱり、西川先生だ。
理由は、これまでのブログを参照してほしいので、割愛(笑)
キーワード検索で「西川先生」と打てば、その理由がいっぱい出てくるはず。
図からもわかるように、明らかにすんごい方向にギュイーンと向かってる。
それくらい影響力が、すごい。
ぼくの人生、そんな感じです。
まだまだこれから「とんでもない出会い」があるのかね。
だとしたら、楽しみだ。
*1:´∀`