あの教科の行方

 

数学で習った数列なんて、高校卒業してから一度もやっていない。

足し算・引き算・掛け算・割り算という基本的な計算は、大事だと思う。わざわざスマホを使わなくても脳内でできるから、結構楽な生活を送れていると実感しつつある人生、今日でだいたい7年目。

 

高校英語で覚えるはめになったno less than…「…も」という比較構文。長期間の海外生活ではもちろん、英語翻訳本執筆のときにですら使っていない。

今は、TEDみたいなところで『』を英語でプレゼンできる能力さえあればいいかなぁ、というのが密かな目標。だから、極論、スピーキングさえ極めれればいいのかな。

難しくて文学的な表現なんていらない。

シンプルで、でもちょっとユーモアさがある表現さえあれば、いい。

 

漢文のレ点、一二三点、上中下点なんて、少なくともぼくのこれまでの人生、これからの人生では、覚えてなくても幸せに生きていけそうだ。そういう文字文化があったということを知れれば、それで満足。だってそもそもこのご時世、誰もぼくと漢文形式でコミュニケーションとらないじゃない。

でも、故事成語はしっかり覚えてくおくべきだったなとは思うし、もうちょっと深めてもよかったかな。教訓は、たまにぼくを精神面で救ってくれる。

 

「大学で」「大人になってから」じゃなくて、高校生の段階で、もっと税金のこととか、福利厚生について詳しくやりたかった。社会という教科の中で。

「働くために生きる職場」から「生きるために働く職場」へと意識転換しつつあるこの社会。労基法・公務員法などの「仕事のルール」を駆使して、自分の身を、同僚・上司・会社から守る能力は、あったほうがいいに決まっている。

 

家庭科は、そうですね。ぼく自身、幼少期から料理はもともと好きだったから、別に調理実習なくても良かったかな。むしろ、「グループで料理を作る」こと自体ストレスでしかなかった。「なんでその味付けなんだ」「話す暇あったら使ったまな板くらい洗ってくれよ」。そういう鬱憤が実は溜まっていた。それに、料理なんてアプリで検索すれば、あとはその通り作るだけだから、わざわざ1、2時間設けて料理、しなくていいんです。

でも、裁縫道具の使い方はもっと知っておくべきだった。最近、ズボンの糸がほつれ、縫う機会が多くなったように思える。知識(縫い方)は調べればすぐにゲットできるが、技術的な面ではなかなか苦戦してしまい、いつも雑なものになってしまう。もっと実践をしておくべきだった。と言っても、調理実習と立ち位置は一緒か。

まあ、得手不得手で考えれば、後者にフォーカスしたかった。

 

それぞれの教科の行方、ぼくはこんな感じです。みなさんは?