教採の結果に対する心構え

教採の最終結果が出始めてますね。

 

「え!この人がなんで落ちたの?」

とか

「その高倍率の中よく受かったね!」

という人がちらほら。

 

まあ、いずれにしても、

それも実力ですし、運命です。

 

受かった人は、おめでとう。

受かったから、正規採用として現場に立つわけであります。

でも、よくいますよね。

合格=達成 という甘い考えでできている脳内御花畑人間。

現場に立った瞬間失速していく人。

自戒のために言わせて下さい。

これで終わりじゃない、これからですよ。

ぼくは、昨年合格と同時に、「それじゃあ」と、未知の世界である教育現場のことばかりに目がいってました。

ま、その日だけは浮かれましたが。

流石に1週間とか1ヶ月とか、浮かれることはなかった。

そこまでくると、「人として恥ずかしいよな」という考えがありました(笑)

 

残念ながら落ちた人は、

気が済むまで落ち込んでください。

悲しい曲を聴いて思う存分悔しがって下さい。

当日の試験監督について愚痴って下さい。

その自治体に対して自分が教師として何ができるか、誰かに熱弁して下さい。

その自治体の教育方策に対する不満をぶちまけて下さい。

一旦そこから始めてみてもいいかもです。

 

ぼくは、初教採で不合格という結果を知ったとき、そうやって数日過ごしました。

 

それでいいんです。

 

あと、ぼく自身、所々ポジティブ思考だから、

「あぁ、この自治体落ちたのって、まだ前へ進むなってことか」

と神様とか先祖とかがそう言ってるんだと、スピリチュアル的存在のせいにしました。

せい、じゃないや、おかげですね。

 

学4のときの初教採で、あの自治体に落ちたおかげで、今こうやって『学び合い』の考えを血肉化できているわけです。

 

過去から見れば現在というこの充実した未来に向かわせるために、ぼくは落ちたんだと、今なら思える。

思えるじゃないか。

 

ただの思い込みのままにならなかったし、させなかった。意地でも。

 

何が言いたいかと言うと、落ちた人は、実力だけでその結果を片付けない方が良いと思います。

きっと、

目に見えない何かが、良い方向へ、向かわせるためにそうさせたんです。

 

おバカな考えだと思いますか?

 

まあ、要は考え方ですから。