これからの授業

昨日のブログに続けて、ちょっと書いてみます。

kohdai-0321.hatenablog.jp

 

授業デザイン、確かに大事だと思います。

SNSを見ていると、いろいろ見ます。

新しい授業方法とか。

でも、その授業デザインって、

「教師が授業をする」が前提になってませんか?

 しかも、大衆(子ども集団)に向けて。

 

最近、「個別最適化」という言葉や、

「個性化、総合化、非同時化、分散化、適正規模化、地方分権化」というキーワードをよく聞きます。

 

きっと、これからの教育の考え方なんだと思います。

この考え方を理解できないと、自然と、教育に限らず、

どんなサービスも潰れていくことが予想されます。

 

その上で話を展開すると、

やっぱり一斉授業には限界があります

理由は、さきほど書いたキーワードがネックになってくるからです。

そして、どんなにすばらしい授業デザインを考案しても、

その一斉授業というレールに乗っている限りは、

必ず廃れます。

 

「じゃあ、授業デザインをするなというのか?」

となりますが、

そんなことはないです。

 

授業デザインというより、

1つの新しい理論、あるいは、データを導き出して、

それを提供するのは大アリだと思います。

 

例えば、すんごい極端な仮説ですが、

ハンドスピナーなどの手遊びガジェットで手を動かしながら英語を勉強すれば、通信教材学習者より2.5倍も英語習得率(特にスピーキングにおいて)が上がった。

また、IELTSでの総合スコアが8.0と群を抜いていることがわかった。

具体的な方法は、OOで~..」

というデータを出すんです。

 

あとは、習得したい能力がある者に、提供するだけ。

それだけでいいんです。

ま、子ども集団にポイっと渡すんです。

使いたい人は使うし、伸びる人は伸びる。

お互いに試行錯誤しながら、学び合う子は学び合う。

 

教師が、わざわざ授業デザインなんかしなくていい。

蛇足過ぎる。

画一的で、それじゃ一斉授業と変わりない。

そもそも「同時に、例外なく、みんなにやってもらう」が意識の中にある時点で、ナンセンスだ。

 

おかしな話でしょうか。