これからの授業
昨日のブログに続けて、ちょっと書いてみます。
授業デザイン、確かに大事だと思います。
SNSを見ていると、いろいろ見ます。
新しい授業方法とか。
でも、その授業デザインって、
「教師が授業をする」が前提になってませんか?
しかも、大衆(子ども集団)に向けて。
最近、「個別最適化」という言葉や、
「個性化、総合化、非同時化、分散化、適正規模化、地方分権化」というキーワードをよく聞きます。
きっと、これからの教育の考え方なんだと思います。
この考え方を理解できないと、自然と、教育に限らず、
どんなサービスも潰れていくことが予想されます。
その上で話を展開すると、
やっぱり一斉授業には限界があります。
理由は、さきほど書いたキーワードがネックになってくるからです。
そして、どんなにすばらしい授業デザインを考案しても、
その一斉授業というレールに乗っている限りは、
必ず廃れます。
「じゃあ、授業デザインをするなというのか?」
となりますが、
そんなことはないです。
授業デザインというより、
1つの新しい理論、あるいは、データを導き出して、
それを提供するのは大アリだと思います。
例えば、すんごい極端な仮説ですが、
「ハンドスピナーなどの手遊びガジェットで手を動かしながら英語を勉強すれば、通信教材学習者より2.5倍も英語習得率(特にスピーキングにおいて)が上がった。
また、IELTSでの総合スコアが8.0と群を抜いていることがわかった。
具体的な方法は、OOで~..」
というデータを出すんです。
あとは、習得したい能力がある者に、提供するだけ。
それだけでいいんです。
ま、子ども集団にポイっと渡すんです。
使いたい人は使うし、伸びる人は伸びる。
お互いに試行錯誤しながら、学び合う子は学び合う。
教師が、わざわざ授業デザインなんかしなくていい。
蛇足過ぎる。
画一的で、それじゃ一斉授業と変わりない。
そもそも「同時に、例外なく、みんなにやってもらう」が意識の中にある時点で、ナンセンスだ。
おかしな話でしょうか。