相反する理論が目の前にやってきた

昨日は(教職)大学院で全体リフレクションというものが行われた。

 

9月から院生は、契約した連携校で授業や学校運営、学級経営に携わっている(院生版中期教育実習)。

数か月間入ってみたけど、その成果を見せようじゃないか、ということでチームごとにポスターセッション。

のち、自分の個人研究の進捗状況はどうなのかをお披露目するために、いろんな人をごちゃまぜにしたメンバー編制(5,6人)で、1人10分間のプレゼン。

 

そこではいろんな人の個人研究を聞けた。興味深いものもあった。

だが、正直なところ、難しさのあまり、途中から「自家製のチャーシュー作りたい..」「次はしっかり凧糸で縛って10時間は煮込んで..」などというその時間には到底無関係とも思える欲望が見え隠れした瞬間もあった。

もちろん丸々一時間そうだったわけではないです。

そうさせた発表者、というより、

そうなる体質のぼく、に原因があるわけでありまして。。

 

つくづく思うよ、自分のストライクゾーンが狭いなぁ、と。

 

ただこの会は、どちらかと言えば、「やらされている」感覚に近い。

なぜなら単位取得に関わってくるものだから。

ぼくはただ、その場にいて、身を任せたのだ。

ぼくの「興味関心」から選んだ時間ではないので、

そうなるのも仕方ないと踏ん切りがついている。

 

その中で、『学び合い』の理論と全く正反対な理論を用いて

個人研究をプレゼンしている人がいた。

「その人自身」は前々から知っていて、非常に良い人なのだが、

その研究は、『』と全く相反するものだから、すごく複雑な心境だった。

 

それなのに相槌を打ったり、「確かに」と頷いたフリをしている自分が

なんだか腹黒く思えた。

「本当はそう思ってないんでしょ」

ともう一人の自分がチャチャ入れてきていた。

 

でも、せっかく発表してくださっているのだから、

これくらいはするのがマナーでしょ

 

と体が心がそうさせたのだろう。

 

『』の理論で言えばすぐに片付けられるのに、

いろんな状況が重なって何も言えない時間は非常に苦しい。

 

自分の表には出さない黒い部分も

心の中でざわめき始めるから、本当に困る。

 

でも、何か一つの理論を信じて貫いているからこそ生じる、

どうしようもない現象なんだと思っています。

だって向こうもぼくのとは別の理論を信じて貫いているのだから。

お互い様である。

 

このときの対処法は、

むやみに攻撃しないこと。

 

相手がその理論に興味を持ってくれた時だけ、

自分の方から徐々にうち明かしていけばいい。

 

そんな昨日の心情を、解説してみる。