天才の発見方法?それはね,,

昔、『学び合い』だと、天才が生み出される可能性が

だいぶ減るんじゃないかと危惧したことがある。

 

たとえば、これまでに人類に影響を与えた天才・偉人は、

きっと、一斉授業という非個別最適化された授業形態の中で、

「教師の工夫が施された授業」をきっかけに、内に秘められていたポテンシャルが、いきなりバッと開花し、すごい業績を残す結果になった可能性も否めない。

 

手の凝った授業デザイン

おもしろい授業

教師による問いのある授業

深い学びが設定された授業..

 

教師のすばらしい授業のおかげで生まれた最高峰の人材は、

一定数、必ずいると思うんです、彼らの中に。

 

でも逆に、教師が敷いたレールのせいでポテンシャルが砂を被って、

真の素質を発揮することができずに人生の幕を閉じた人も、一定数いると思うんです。

 

まあ、でも、両極端なわけであります。

どっちもどっち、というか。

どっちも正解だし、どっちも間違いだし。

どの授業方法も、可能性は潰しているのに変わりはない。

 

そもそも僕自身、「天才を発掘するための教育」なんて

興味はないんですが。

 

でも、強いて言えば、『学び合い』の方が天才を見つけられる可能性は、まだ高い気がするんですよね、というか、だいぶ。

だって、その天才を発掘するのは教師じゃなくて、子ども集団ですから。

明らかに母数が違うでしょ、素質を見出す人の数が。

 

教師は自分の指針を頼りに探すに違いない。

言ってみたら、自分好みを。

 

でも、多種多様な発見者である子ども集団であれば、

多面的・多角的視点から

「ちょっとまて、お前これすごい能力だぞ」と言われ、

「じゃあ、極めてみようかな」に繋がる気がするんです。

 

と、ぼくは思うんですけど、いかがでしょうか?

 

なんて、「授業の中で天才をどうしても発掘したい人」に『学び合い』の可能性を説明すれば、そのすごさをわかってくれるのかな。