脳の形もいつかは変わる

ヒトの脳の形状・サイズは、時を経て変化してきたのは、

なんとなくみなさんご存知かと。

ノイバウアー博士によれば、10万年前から変化が著しくなったんだとか。

そりゃ環境が変われば、脳もそれに応じて変わるよなー。

 

そういえば、人類の脳の大きさは、

過去3万年で縮小しているという研究結果がだいぶ前に出ていた。

なんとテニスボール1個分ほどの大きさも。

 

過酷な環境で、常に生存危機が付き纏っていた時代。

生きていくために大きな脳が必要だったのだろう。

 

でも、その時代以降、そして今は、人口密度の増加(人々が近くに暮らし、その集団内での交流)により、社会的複雑さが高まった。つまり、

「周りとの関わりさえあれば、

生存するために(いちいち)知能を使わんでもいいよなぁ」

ということから、脳が縮小したのではないかと、米ミズーリ大学のデビッド・ギアリー教授は考えている。

 

といっても、「脳みそが小さくなったからって、頭が悪くなったわけではないんやで」と訴えるのが米デューク大学のブライアン・ヘア准教授。

「別種のもっと洗練された知性を身につけた」と説明している。

 

その例として、イヌとオオカミを例に挙げていた。

飼育動物のハスキーは野生動物のオオカミより脳は小さいが、

人の会話、身振りを理解できている。

より洗練された知性を持っていることがうかがえる良い例だ。

脳が小さくても中身が詰まっていれば良い(「量より質」)ってことですかね。

 

話は変わって。

今後、学校で全員に一律に教えられている知識とかはなくなる気がするんです。

「全教科、みなさんこのレベルまでできるようにしましょうよ」

ていう煩わしいあれ。そうそう、基礎学力。なくなるはず。

だって、その知識自体、将来的に役立つ人もいれば、道端に落ちているタバコの吸い殻と同じくらい役に立たないっていう人もいますから。

自分が生きていく上で必要な知識だけを取り込み、そしてとことん磨く

そんな学校教育の流れが、必ず訪れると思ってます。

というか、それに気づき始めている子・親が増え始めている昨今。

 

「生きていく上である程度必要なんだけど、自分のものにできない」

そんな能力問題には必ず直面します。

だからといって、「やっぱり一律に教えないと..」とは思わない。

 

自分が必要としている能力を、必要な時に、その能力を持ち合わせいる人から借りられる力さえあれば、余裕で乗り越えられるでしょ、って思うんですよ。

そもそも、一人の人間が、ほとんどなんでも網羅しようなんてインパッスィボー。

 

これからの時代、人工知能やらオートメーション化が、なんとかしてくれます。

そしてそれらではカバーしきれないものを我々人間は仕事にする。

そしてそれの対象外(自分の専門外である仕事)の事柄に直面したら?

それを対処可能な者に相談し、助けてもらう。

それでいいんです。

 

自分の専門はとことん伸ばすけど、専門外は助けてもらう。

そして自分の周りの人間がそうなるように自らもいろいろと働きかける。

 

この能力が長い年月をかけてでもいいから全ての人間ができるようになるといいな。

 

「幸せ」と言う二文字のユートピア以外思いつかない。

 

何万年後かには脳内にプログラミングされていて、その頃には、

これはまた新しいヒトの脳の形が出来上がっているんですかね。