給食についての理想

来年4月から教員としてある自治体で採用は決まっているが、

まだまだ辞令は出ない。3月の終わりにならないと、出ないそうだ。

 

どの地区で採用かもわからない、

けどなんとなく「ここになるんだろうなぁ」と目星はつけている。

 

どの校種で採用かもわからない、

でも中学だろうなぁ、きっと。

 

となると、それなりの確率で給食指導というものに直面するのか。

 

昔もそうだし、今もそうなのかな?

割烹着を着て、手分けしておかず等を盛って、机を向かい合わせにして、一斉に「いただきます」の合掌。

 

懐かしい。

 

小学校の時は、クラスのムードメーカーだったので(!)、

人を笑わせて口・鼻から牛乳を吹かせたことがある。

なぜかぼくの方に周りからの白い目が向けられ、軽い非難を浴びた。

それでも6年間給食の時間は、バカ笑いしかしてこなかった。

無邪気ゆえ、誰とでも気軽に気安く話せたし、打ち解けられた。

 

中学校は、それなりに落ち着いて食べていた。

思春期とか人間関係とか、そういうのに敏感な年頃だったから、

席替えの運次第で、気持ちの高ぶりは上下変動。

「あと2カ月くらいはこの人かー。」「当分この人たちとね。」

という気持ちを抱きながら正直食していた。

 

でも、まあ、そうか。

 

授業では関わりがほっとんどないから、

「その人」「その人ら」のことを知るすべが無いんだもの。

給食の時間だけ楽しく話せ、なんて無理も良いところだ。

そんな器用じゃない。

 

いっそのこと、給食の時間は自分たちでグループ作ってもいいし、

一人で食べてもいい。

そんな形態を当時は望んでいたし、

今も、背徳感を抱きながら、実は思ったりもしている。

 

だって、各々が「誰かとつながっている」のを日々の生活で実感・理解しているなら、

それもそれで別にいいじゃないかと思う。

(『』の授業が日々行われている前提)

 

食事の時間くらい、各自選択でいいじゃないか、と。

 

一緒に食べたいときに食べる、

一人で食べたいなら一人で食べる、

選ぶのは自分

 

そんな雰囲気が許されている教室が、ぼくは好きだ。