ゴチャゴチャ教育論

アルバイトをしているときにふと窓の方に目をやると、

お昼過ぎなのにもう高校生が駅の方へ向かっていた。

 

あぁ、そうか。

この時期、定期テスト期間ですもんね。

たった2,3教科の試験のためにわざわざ学校へ足を運んだのね。

ご苦労様です。

ということはあれですかね、もしかして試験の数日前から

「試験対策の授業」というやつ、されてたんじゃないですか?

「ここ試験に出るぞー!」

「もう一回この公式について説明するぞー」

とかっていうおさらい授業。

あるいは、「じゃあ自習で」という自学授業とか。

 

気の毒ですね、生徒の皆さんは、

「自分ンチとか公民館で、仲間とやらせてくれ、この程度の授業なら」

という本音をお持ちでしょう。

 

つくづく思うのは、社会にある有給休暇っていうやつに該当する、好きな時に自分の意志でとれる休み行使権が、学生のみなさんにもあればいいのにと思う。

そうすれば、こうやってこのテスト期間にわざわざ学校へ来なくてもいい。

 

というか、定期テストなんてそもそもなくていいのに。

 

おそらく基礎学力という存在が、学校や子どもにそうさせているのだろう。

でもその基礎学力も、今となっては崩壊されつつある。

 

2016年に成立した教育機会確保法により、

不登校なっても大丈夫、フリースクールがあるから」

と学校へ行かない選択を許可してますし、

 

 

公立中学校なんて、3年間の出席日数が数日であっても「あなたは中学校を卒業しましたよ」という称号が与えられるシステムになっているし。

だから、誰でも「高卒」という資格を掴むチャンスは与えられている。

 

でも、その(主に公立)高校と言う施設は、

将来性あるなしに関わらず、

得意不得意関係なしに、

「とりあえずさ、これらの教科、勉強するんだよ」

と押し当ててくる。

 

個別最適化が施されていないのだ。

 

ただ昨今、広域通信制教育(代表例:N高)が台頭していて、そこでの学びを終えた子たちは間違いなく絶大な結果を社会に生み出す可能性が大いにある。

こうなると、ふっつうの高校、大学卒業を評価する企業も減るはず。

 

でも社会は、基礎学力?という抽象的なモンをどこまで網羅しているかを把握するための物差しを求めるはず、仕事探し中の子供たちに。

きっと、この先、わりと当分。

つまり、「高卒 or not」を。

 

であれば、高卒認定試験対策をほどほどにしながら、

自分が磨きたい能力をとことん磨くカリキュラムが理想的だよなぁ

と思う。

つまり、N高がやっていることか。

 

その認定試験も、

(今のところは)出題形式は4択のマークシート式だし、

何回も受けられるし(科目合格形式)、

レベルも中学~高1らしいし。

 

ハードルは低い。

 

でも、ぼくのこれはあくまで「現在」に対する応急処置に過ぎないわけで、時間が経てば今よりはもっと自由度が増しているんですかね。

認定試験とか気にしなくてもいいような雰囲気が出来上がっていてほしい。

 

そしてその日がやってきたときには、

未来に目を向けた顧客の希望に応えられる教育を

提案・提供できている自分が望ましい。