溢れるだけでまとめられない

榊原先生の講演

最も印象的だったのは、追調査の結果でした。

当時中3だった生徒が『』で学んだわけですが、

そこから1年半後にアンケートを行ったんだそう。

『』に関する簡単な質問事項です。

その中で、

「『』の授業は楽しかったか」というものに対して、

肯定的な回答(4件法+記述式)が100%だった。

個人的には珍しい事例だなぁ、と感心した。

頑なに否定的な意見を寄せる子もいるからだ。

また、

「『』の授業で知識以外にどんな力が身に付いたか」

という質問に対して、大多数がコミュニケーション能力

と回答していて、『』の中で培いたい能力の1つがしっかり

子ども達に育っていて、「あぁ、いいね」と思った。

ここからさらに10年後、つまり社会人になって何年か経ったあとの追調査もあれば、おもしろい結果が出そうだなと。

「結局、『』は今の実生活に照らし合わせて、どう?役立ってる?」

と率直な感想を聞きたい。

 

榊原先生の講演で見つけた自分の宿題は、

『状況に埋め込まれた学習』を読むことでした。

 

分科会①山崎さん

いろんな形の『』があっていいんだなと再確認。

授業時間50分のうちの中盤の15分だけ『』、とか。

ある意味異常な研究室に所属しているから、正直、現場に出たときの周りの教員との、考え方・認識のギャップに苦しめられるのが目に見えている。

確かに正しいことをしている。ただ、異質なだけ。

だからといって、同僚の意見を無視していると、学校(職員室)から自分の居場所がなくなる。

まずは、「お、こいつなかなかやるじゃん」という印象を周りに与えてから『』に着手するのも一つの手なんですかね。

それか、「一生懸命聞いて、聞き流す」か(笑)

性格上、最初っから『』でやっちゃいそうですが、、。

勤務地がどんなところか、で舵をどう切るか決めよう。

 

分科会②だいきさん

同じゼミ生の経験豊富な現職さん。院の学年的には同僚です。

だいきさんが、どういうルーツで『』に辿り着いたか、を改めて確認できた。

そして、定期的にある西川先生との対談(学年ゼミ)でぶつけた質問に淡々と答える西川先生の動画をベースに進行した斬新な発表。

結局は、「子どもという子どもはいない」この言葉に尽きるし、ずっと胸に突き刺さっているし、なんなら、これで学校教育に潜む問題のだいたいは片付けられる。

 

西川先生の講演

講演開始の直前にどういう内容で話し、進めていこうか決めた無計画ぶり(笑)

やっぱぶっとんでるなぁ、でも、重みのある語り口に内容に。。

「中学生みたいなおじさん」なのに、尊敬してしまうんだよなあ。

 

内容はいつもと違った。

いつも、というのは、あの人の中にはテンプレが存在する。

こういう話をしたならばこういう結論に持っていく、という豊富なテンプレが。

最初の方はと言うと、ぼくもそうだし、ほとんどの人が、

「あーこの流れね」

と察知したんじゃないでしょうか。高校教師時代、『』のルーツ..

 

でも終盤は、ぼく自身初めての内容だった(講演という形では)。

学年ゼミでは何回かそれに類似したものを聞いたことはあったが。

 

ここからはぼくの解釈も混ぜて書いていきます。

 

今の公教育は、いずれジワジワくるパンデミックにより

その形状がだいぶ変わります。

部活動問題とか、給特法とか、そういう問題はきっと無くなっています。

その頃には、地方公共団体が作る私立学校が今の公立学校の代替になるそうです。

 

N高やN中、N小もあるなか、

いろんな広域通信制学校が出来始めている頃でしょう。

そんな未来で、今の公立学校から脱皮した改・公立学校

生き抜くには、

①県からの十分な予算・有り余っている公共施設

②「実際に会える」という人と人との生のつながり

③地域社会との連携(デュアルシステムとか)

が、重要になってくるなぁと。

そして、都市への進出をあえて選ばないローカルエリートの育成につながり、そこへ残り、結果的に地域の活性化につながる気がする。

そして、

 

書きたいことは山ほどあるのだけど、

自分の中であんまりまとまってなくて、

その上語彙力が低いこと、及び指が疲れてきたので今日はここまで。

 

とりあえず、越後『学び合い』の会、お疲れ様。