一枚の紙に書かれた英語を学ぶ意義

たぶん去年の秋ぐらいだろうな、

学年ゼミで、「英語は別にいらないよ」

と西川先生に言われたのは。

 

あのときはまだ、『』の可能性を信じつつも、

でもどこかで、「子どもたち」に「英語」を「一律に」という

古臭い考えが根付いていた。

なんせ、ぼくはこれでも専門教科は英語なもんで、

「いらないよ」と言われたならば、こんちくしょ、となるわけで。

「英語の先生としてのアイデンティティ」が踏みにじられたわけでありますから。

 

そこから2,3冊くらい、英語を学ぶ意義について書かれた本、英語はいらないと書かれた本を読み漁り、なんとなくまとめた一枚の紙が出てきた。

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これ以降、学校教育で英語を学ぶ意義を自分の中で確立できた(気がする)。

けじめをつけれた、というか。

 

英語は、自分の中で必要だと感じた人が学び、活用できればそれでいい。

 

英語に限らず、どの教科(分野)も、結局はそうなんですけどね。

 

もう随分と、英語教授法の勉強会には行っていない。

なぜなら「クラスみんな」に「一人の教師」が行う「一斉授業」のためのノウハウに過ぎないのだから。

 

Youtubeとかには英語勉強法がいっぱい載っていて、そういうとこから自分で選択し、試行錯誤しながら、学ぶ。

これが一番。