繋がりさえあれば万事解決

たまに遭遇するシチュエーションは、

 

「これってOOだよね?」

「この書類は裏表印刷で提出でいいんだよね?」

 

と、重要度が低いものから高いものまで、

確認がてら聞かれること。

 

あれがなかなかに苦手。

 

「ん~..どうだろうね」としか言えない内容が多いからだ。

 

もちろん全部が全部、それにあたるわけではない。

自分の専門知識が要するもの、自分が深く関わっているものに対しては、YES/NOをはっきり出せるし、そしてそれに続くBecause~も言える。

 

でも例えば、自分以外の誰かが知っている、

しかもその母数が大きい場合は、

一気にその事柄に対する執着心が無くなり、

その知識を所有しようとは思わないし、むしろ手放す。

 

だって、その情報が必要になったら、

別の人に聞けばいいわけですから。

 

なんだろうな、この感覚は。

あれに近いんですよね、ほら、容量がほぼいっぱいになったスマホに。

 

「普段使わないけど、一応保有しているアプリ」ってあるじゃないですか。

でも、「データ容量が足りません」って言われたら、

真っ先に重要度の低い例のアプリを削除するじゃないですか、

容量を確保するために。

で、もし仮に必要になったなら、再度インストールすればいい。

 

それだけなんです。

 

それに、たとえぼくがわからなくても、

ぼくの周りの誰かは必ずわかります。

 

やたら大学の掲示板情報に詳しい人、

提出物に詳しいうえに呼びかけてくれる人。

 

どんな集団にも必ずいます。

集団ってそういうもんです。

 

幼少期から今にかけて、そういう集団に身を置いてきたから、

ぼくはここまで生きてこれた。

 

それに、「集団ってそういうもんです。まあ、ぼくは能無しですが。」と言っている人も、集団内の誰かには「OOできる人」と認知されてます。

 

どんな集団も、そういう風に構成されていると思います。

 

こういう集団で大事なのは、

各々何かしらの「専門性をもっていること」が絶対条件だよね、

と言いたいところですが、

『』実践者のぼくとしては、

直接的でなくていい、間接的でも良いから、

グループの中心メンバー(ある集団生存の維持に深く携わっている誰か)と、人と人とを介して、誰もが繋がっていること。

 

蜘蛛の巣的な人間関係、でしょうか。

 

これが一番だと思う。

 

集団内で誰かと誰かが仲悪くてもいい。

直接的に関わらなきゃいいだけの話だから。

 

プツンと、誰とも関わりがなくなることがなければ、それでいい。