教師の仕事を捨てること
Twitterが「教育」でアツいなぁ,と最近改めて思う.
ぼく自身,教育関係の人をメインに相互フォローしてるからなのか.
部活動問題,授業方法,学級経営,,
いろんな人がいろんな実践をシェアしてくれていて,どれも勉強になります.
ただ,そのほとんどが,
西川先生やクリステンセンが言う,
「持続的イノベーション」なのかなぁ,と思える.
あからさまに批判をしたいわけじゃない.
すばらしいものはすばらしいわけですから.
ただ,どうもぼくには,一本の大木から伸びる枝がさらに伸びている,あるいはその大木から新しい枝が生えたものに過ぎないのかなと,ひそかに思っている.
ぼくが枯渇しているのは,「破壊的イノベーション」で,いわばもともとあった大木の横に新たに別の大木が生え始め,それがグングン成長していくもの.
だから例えば, 教育で言う「破壊的イノベーション」って,簡単に言ってしまえば,
教師が教師の仕事をしない
ことでしょうか.
小細工満載の教師主体の授業はしない,
というか,そもそも教師が授業をしない,
部活動がない,
「学級経営」という単語を聞いても真っ先に教師の存在が思い浮かばない,
「教師の仕事術」のようなハウツー本がないと処理しきれない雑務がない..
一応言葉を選んで書きましたが,
きっとそういう感じの状態なんだと思う.
再度書きますが,Twitterを見てると本当にいろんなすばらしい実践があって,どれも実践してみたくなる.数年前の自分なら.
どれも,なんというか,「教師の仕事」をしてる感じありますし.
「喉越しがあってこそビールだよね」とか「噛み応えがあってこその煎餅だよね」に感覚は近い.
でも,教師の仕事を極限まで削ぎ落とした(今もなお削ぎ落とされ続けているが)『学び合い』を知ってしまってから,
「あぁ,教師はそういうことはしなくてもいい,むしろしない方がいいのか」
という結論に至りました.
でも,どうやらその結論は
破壊的イノベーションへ繋がっているようです.
破壊的イノベーション的商品には,ユーザーはなかなか手を出しにくいです.
良い意味でも悪い意味でも,画期的過ぎるからです.大冒険ですからね.
それゆえ,広がりにくい.
Twitterでよく目にする実践は,先述したように,ぼくにとっては「持続的イノベーション」だから,それゆえ万人受けしていて,よく目にするのかなと推測している.
とは言っても,それはそれでいい.
教育っていろんな形があっていいし,
そうじゃないと多種多様な子どもに対応できないわけですから.
なんかよくまとめれないけど,今日はなんかクリステンセンが思い浮かんだ.
それに絡めて,『学び合い』が広がらない理由を考えてみた,それだけの話でした.