熟達者ー初心者 

エキスパート・ノービス研究によれば,「熟達者」が「初心者」に何かを教えるのは非常に困難ということがわかってます.熟達者は,初心者の「なぜできないのか」を,その気持ちを,全く理解できないからです.

 

これは,自分に置き換えてもそうです.

 

数学出来すぎる人から説明を受けても,

なんだか痒いところに届いてないんだよなぁという

もどかしさがあり,けれど教えてくれてるのだから

理解しなきゃという焦燥感があり,

非常に息苦しかった記憶がある.

 

反対に,高校時代やっていたラグビーでは,

2つ下の後輩(1年生)に,タックルの仕方を教えるのだけど,

なかなかうまくしてくれない.

一生懸命教えても,及第点にはたどり着かなかった.

(「僕自身,すんごいうまかったよ,と言ってるわけではないですが」)

 

だから,学校で行われている一斉授業(教師ー生徒)を目にすると,嘲笑を抑えられないでいる,もちろん心の中で.

 

先日友達二人を引き連れてスノボにいった.

うち1人は,ウィンタースポーツをしたことがない初心者.

ぼくを含めた二人は,オリンピックに出れるほどの熟達者まではいかないが,それなりに滑れるから,中級者という位置づけだろうか.

 

個別に,というその人にじっくり教えることができたから,

その日中に,滑れるようになっていた.

向こうからコツとかをフランクに積極的に聞いてくれるもんだから,環境としては良かったのかもしれない.身体能力も比較的高かったというのもありますが.

 

そこで思ったのは,

熟達者と初心者の関係と言っても,

そこになんでも聞き合える信頼関係が築けていれば,

「教授」は成り立つのかなと.

 

今の体制にある学校では無理ですが.

 

なぜそれができないのかと言えば,

3,40人ひとりひとりと一人の教師が確固たる信頼関係を築くってのは不可能に近いから.そして,ひとりひとりに教えるのってかなりの労力.

 

理由は簡単.

人間だから,好き嫌いは誰しもある.

それだけです.

 

だから,学校の青春ドラマを見てると,

「理想だなぁ」と思う.

 

話が逸れましたが,

 

そういうわけですから,

一斉授業(形式)で子どもに理解させるってのは

ちょっと非現実的なんですよね.

 

ただ,

・ハイレベルの教える技術

・生徒との信頼関係

が築けているのであれば,

問題ないです.

と言っても,全体最適化授業に対して不満を持つ子は

必ず生まれるので,結果的にそこを皮切りに信頼関係ではどうしようもできないクラス状態になっちゃうかと思いますが.