みんなの隣にあるもの
桃田賢斗選手が帰国便の空港に向かう途中の高速道路にて,
交通事故にあったのが,つい一昨日の話.
現地ドライバーは残念ながら亡くなられたが,
乗っていた3名は無事だったとのこと.
痛々しい負傷はしましたが,今はもうピンピンとのこと.
不幸中の幸いとは,まさにこのこと.
「世界王者がー..!」
「オリンピック大丈夫かな..?」
という心配よりもまず先に立ち籠めた感情は,
あぁ,誰でも死と隣接しているんだな
という恐怖と諦めでした.
あの順風満帆な人生を送っている桃田選手にも,
死というその瞬間は突如訪れるわけでありまして..
今回は死なずに済んだが.
なんなら,きっと「いつも通り」仕事として人を運送していたそのドライバーも,突如訪れた死に,「まさか自分が」と思っていた死に,
驚きを露わにする前に天に召されたわけでありまして.
きっと,今,こうやって画面に向かってひたすらカタカタとキーボードを打っているぼくも,いきなり心筋梗塞を起こして死ぬ可能性があるわけでありまして.
ぼくが親しくしている友人らも,
一日一箱タバコを吸う両親も,
健康に気を配っている恩師も,
事故・病気に無縁と思われている人々みんな,
死とは常に隣り合わせなわけです.
これはどうしようもないことで,
「占いでは~」なんてほざいても仕方ないことです.
どういう構造で死ぬのか,わかりません.
人間には見えない誰(何)かが,適当にピックアップして,死に追いやっているのかもしれませんし.
だから,70,80になっても生きている方を見ると,
「よくその歳まで無事で生きてこられましたね..!」
と尊敬の眼差しを浴びせる.
死
ぼくはそれに恐怖し,悩み,「そういうもんだ」と諦め,
そしていつも通りの日常を送るのであった.
なんか,もう,
シェリー・ケーガンの
『「死」とは何か』
を読みたくなってきた(笑)