「君のそれはだいぶ前の話でありまして..」

西川先生の著書をいくつか英訳し,出版している.

今頃,海外のどっかの国のどっかの誰かが手に取って読んでいるんだろうなぁ.ただ,その数は正直ごく少数だと思っている,世界規模で見てもね.

 

それをなんとか解決すべく(『』を広めるために),ウェブサイト創設,そしてSNS戦略を密かに試みているわけですが..それはもうちょい先になりそうですね.まずは目の前にある本を英訳し終えないといけないことになりまして.

 

協力者を発見できているだけに,もどかしさがあります.

 

そういえば,

英訳してて思うのは,

「西川先生は本の中ではこう言ってるけど,実際話してれば実はそうじゃなくて,その先の話(続き)をしてるんだよなぁ」

と思う.

その本の中の西川先生が間違ったことを言ってるわけじゃない.

 

ただ,新しい情報を付け足したくなるのだ.

「だって,古いもん」と.

 

でも,何事も時代の流れとともに勝手に陳腐化されます.

誰かに陳腐化されるのを防ぐためにすべきこととして西川先生がドラッカーの言葉を引用しておっしゃるのが,「自らの製品,サービス,プロセスを自ら陳腐化させること」なわけでありますが,

書き直さない限りずっと残るのが本.

そこに書かれた過去の『学び合い』も化石のように残っているわけであります.

 

だから,ぼくが英訳した『』の本を,ぼくの知らない英語を理解できる誰かが手に取り,「『学び合い』っていいね!」と感動する頃には,それはもう「あの頃」の『』ではないのです.

この感じは,何億光年も離れた星を日本から見てて,「光ってるねー」なんて言ってるアレと一緒な気がする.

 

だから,少し哀しくなる気持ちを否めない.

 

だから,本以外の戦略が必要なんです.

 

ただ,多くの人に知ってもらう手立てになるんであれば,本,それはそれでいい.